石田寺
土方歳三の墓にはたくさんのファンが訪れます
名 称 | 愛宕山地蔵院石田寺 |
場 所 | 日野市石田1-1-10 |
電 話 | 042-583-6660 |
交 通 | 多摩都市モノレール万願寺駅下車徒歩5分 |
宗派は真言宗、高幡山金剛寺の末寺で、石田寺は「せきでんじ」と読みます。新選組副局長土方歳三が生まれた石田村「いしだむら」にあります。多摩川と浅川の合流地点にあるこの寺の起源にも川の流れが関っています。
寺伝によると、南北朝時代の康安元年(1361)吉祥坊慶興という僧が建立したものの、永和3年(1377)頃から衰えて一時は廃寺となった場所に、百数十年を経た天文13年(1544)7月9日、多摩川に大洪水が起こり、一体の観音像が石田に流れ着きました。それを村人が廃寺になった堂跡に観音堂を建てて安置したのがきっかけになり、文録2年(1593)に慶心という僧が一宇を建立、石田寺と号したといいます。
カヤの木
石田寺の境内に入ってまずは目を引かれるのは、日野市の天然記念物にも指定されているカヤの木sです。
目通りの太さは4.5m、高さ26m、その樹齢は400年以上、または600年かともいわれています。
カヤの木は雌雄があり、この木は雌木。晩秋にもなるとたくさんの実を境内に落としていますからまだまだ元気いっぱいです。
北向観音
カヤの木に隣り合って建てられているのが、現在の石田寺再興のきっかけになった十一面観音像を安置している観音堂です。
本堂とは向かい合い、北向きに建てられていることから北向観音とも呼ばれて、古くから勝負運に強く、病魔退散、子育ての北向観音として知られています。
毎年10月中旬には観音祭りがとり行われています。護摩が焚かれ、檀家衆ら信者に一年の家内安全を託した護摩札が授けられます。境内では特設舞台も設けられ、歌手が招かれるなど、盛況に行われています。
土方歳三義豊之碑
カヤの木の下を墓所に進むと右手に「土方歳三義豊之碑」が立てられています。これは、早くして両親をなくした歳三の親代わりでもあり、家督を継いだ兄、喜六の曾孫にあたる土方 康氏が昭和43年(1968)に明治100年を記念して建立したものです。
10月に「明治」と改元された1868年は、1月には王政復古の大号令があり、五箇条の誓文が4月に出され。9月には江戸が東京と改名された年でした。歳三が亡くなったのは翌明治2年(1869)5月、その時には蝦夷地だった場所も、同じ年には名称も北海道に改められ、開拓使も設置され、北海道の開拓が本格化していきました。
この碑から明治100年に込められた子孫の方の想いがはかられます。
土方歳三墓所
土方歳三の墓所はさらに進んだ所にあります。境内には墓所を示す案内板が立てられており、場所はすぐ判ります。
5月11日の命日以外でも年間を通して、献花の絶えることはありません。
戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」。土方家の菩提寺は高幡山金剛寺(高幡不動)であり、歳三の位牌も金剛寺本堂の大日堂に納められています。
土方家の墓所は金剛寺の末寺である石田寺にあり、ここに土方歳三義豊の墓石も立てられているのです。
人の心を捉える歳三の生き様
5月11日は土方歳三が35年の生涯を閉じた命日。
死後百年以上過ぎた今も、5月第2日曜日に行われる「歳三忌」には、石田寺は全国から歳三の追悼に訪れた歳三ファンで埋まります。
墓石は静かに若者たちの姿を見つめています。
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