薬王寺

江戸時代前の日野の中心地だった薬王寺付近

薬王寺
名 称日輪山薬王寺
場 所日野市栄町1-32-2
電 話042-586-0289
交 通JR中央線日野駅下車徒歩5分

本尊は大日如来。真言宗智山派高幡山金剛寺末でした。開基については明らかではありませんが、慶長11年(1606)年、僧覚心が中興開山したという記録が発見されています。

薬王寺の西北側、旧薬王寺領内だった所に、日野宮大権現(日野宮神社)があります。古くから西党の祖日野宗頼を祀ったといわれ、その子孫の鎮守でした。薬王寺はこの日野宮権現の別当寺として、日野宮の管理をしてきたと伝えられています。

徳川幕府によって慶長年間に甲州街道が開かれる前、あるいは北条氏によって甲州街道の道筋が現在の位置に定められる前はこの薬王寺の南に日野本郷と呼ばれる古村があり、新しく道が開かれた時、住民は新しい道沿いに移転したとのいい伝えもあります。日野宮神社周辺に広がる栄町遺跡、薬王寺付近に広がる四ッ谷前遺跡、などの発掘からも薬王寺周辺は江戸時代の甲州道中制定以前の、この付近が奈良平安時代~中世を通じて繁栄していたことをうかがい知ることができます。

薬王寺は高幡山金剛寺住職の隠退寺、もしくは金剛寺晋山候補の者の住職寺であり、薬王寺山門外にあった弁天他に祀られていた弁財天も高幡不動尊の境内に遷座されてたと伝えられています。

戦後、薬王寺は山門は朽ち、草木は茂り、荒れるに任されていました。回りを囲むようにしていた田も都市計画で跡形もなくなった今、しゃれた本堂を構えた薬王寺が中央線の車内からも見てとれます。ひときわそびえる二本の大銀杏が往時を忍ばせてくれています。