真照寺

千年の時を見つめてきました

多摩八十八ヶ所霊場 第十七番札所<br>
多摩川三十四ヶ所霊場 第十一番札所<br>
武相四十八観音 第八番霊場<br>
日野七福神
多摩八十八ヶ所霊場 第十七番札所
多摩川三十四ヶ所霊場 第十一番札所
武相四十八観音 第八番霊場
日野七福神
名 称清谷山蓮華院真照寺
場 所日野市落川1113
電 話042-591-1687
交 通京王線百草園駅下車徒歩5分

真照寺は真言宗智山派でもともとは高幡山金剛寺の末寺でした。開基は弘意僧都で長元9年(1036)三月三日入寂と記録されていることからも、約千年前、藤原氏全盛時代の長和年間(1012~1016)、あるいはそれ以前と考えられています。

そのころ真照寺がある多摩川と浅川の合流地点下流の落川地区には、遺跡発掘からも奈良時代から平安時代にかけて一大集落があったと想定されています。その後天正年間、安土、桃山時代に法印善意によって中興されています。

本尊は大日如来で元禄9年(1696)に作られたものです。真照寺は大正10年(1921)、火災に遇い、この大日如来と山門以外、堂宇、仏像、古文書などすべて消失してしいました。元禄15年(1702)に建立され、古刹をしのばせていた山門(薬医門)は、昭和48年(1973)から解体修復が行われ、今でも当時をしのばせてくれています。

本堂の左手にある観音堂は昭和61年(1986)に再建されたものです。もとは山門の左手山腹にあったのですが、明治30年ごろ、この地域に赤痢が流行し、その患者を観音堂に収容したため、流行の終息を待って取り壊し焼却したのだといいます。その観音堂に安置されていた聖観音銅像は本堂に移されていましたが、大正10年の火事で焼けてしまい、現在の観音様は大正11年(1922)に開眼されました。

真照寺観音堂は宝暦9年(1759)から始まった武相三十三観音の第八番の霊場(前回、平成11年(1999)第21回開扉では四十八観音、第八番)として、12年目に1度卯年に開扉されています。境内には寛政6年(1794)に立てられた「武相八番、子安観音」と刻まれた石碑があり、真照寺の観音様が安産、子育観音として広く信仰されていたことを今に語ってくれています。

境内には日野わかくさ幼稚園が昭和43年(1968)より開園されています。この敷地は明治9年(1876)から落川、百草、一ノ宮方面までの子どもたちが学んだ昭景小学校がおかれ、その後、明治42年(1909)には潤徳小学校の落川分校となり、昭和41年(1966)3月廃校になるまで、落川、百草地区の小学校初期教育の中心となっていました。

また、本堂横手の墓所には源義経の重臣で四天王の一人といわれ、歌舞伎「義経千本桜」で有名な佐藤忠信(1161~1186)の墳があります。