どんど焼き
年が明けて、1月中旬の週末、日野市内の各地では「どんど焼き」が行われます。
長い長い時代の間、純農村地帯だった日野市。高度経済成長期に合わせるようにベッドタウン化し、それにともなって無くなっていった田んぼ、そして何時となく姿を消していた「どんど焼き」。
ところがどっこいじわじわと復活し、市内では現在15ヶ所ほどで行われています。でも、広い冬の田んぼで、もくもくと煙を上げてというのは昔の事。なにしろ田んぼ自体がなくなり、加えて、煙も悪者にされてしまうご時世、なかなか苦労があるそうです。
同じ「どんど焼き」でも、形や参加者も場所によってそれぞれさまざま。
郷土資料館のどんど焼きの様子
郷土資料館主催のものは、教育センターグラウンドで行われ、昔からの伝統行事の体験といった面が強く、地域性よりもイベント色が強いもの。
参加されたのは市内全域からの方。ふるさとでのどんどや焼きを懐かしく思い出されていらしたご婦人もいらっしゃいました。
その他の地域のどんど焼き
万願寺地区のものは、ふれあい橋の近くにある小さいながらも田んぼで行われました。
集まった人たちは代々この地域に暮らしてきた方々らしく、小規模ながら和気あいあいとした雰囲気。田んぼだけが広がっていたこの辺り、その当時の風景ももう思い出すのも難しいほどになりました。
日野バイパス沿いのマンションからも多摩モノレールの車窓からもこの炎が見えたはずです。
四谷地区は鎮守の日野宮神社境内。
お囃子が鳴り響く中、氏子会、子ども会、婦人会が一致協力して準備され、境内で燃え盛る炎は社林を焦がすほどに上がります。おき火にかざすまゆ玉を刺した篠竹はぐるりと境内に大きく円を描き、それを鎮守が見守っています。
でも、形違えど、どこの「どんど焼き」でも一緒のことは、厄は炎とともに天へ昇ったようで、炎をに照らされる顔はみな穏やかです。
ほどよく焼かれたまゆ玉がほうばる口元をゆるませるのは同じです。小さな赤ちゃんからお年寄りまで、ふっくら焼き上がっただんごを口に今年の無病息災を願います。