日野市内各地で「どんど焼き」が行われました
1月14、15、21日を中心に日野の各所で「どんど焼き」が行われました。
「どんど焼き」とは、小正月の火祭り行事。悪霊を祓い人々の健康を願います。
日野では昔は、「サイノカミ」と呼ばれることが多かったのですが、近年は 「どんど焼き」と呼ばれているようです。
日野はもともとは純農村地域、東京都の米産出量のトップを誇っていました。
ですから、「サイノカミ」の行事も冬の広々した田んぼで行われていたそうですが、戦争でそれどころではなくなり、戦後は消防法が厳しくなったり、なによりも田んぼの減少や担い手がいなくなり、昭和40年頃にはすかっり姿を消してしまっていました。
ところが、次第に再開される場所が増え、さすがに田んぼと言う訳にはいかなくなり、学校の校庭だったり、地区にあるグランド、河川敷と様変わりしましたが、現在は13〜15ヶ所で毎年とり行われています。
旧高幡小学校にある郷土資料館でもエコライフクラブの方々を中止に2回目となる 「どんど焼き」が行われました。
丘陵の高台にあるグランドから昇る煙はかの昔の狼煙のよう。
篠竹に刺した繭玉を模した餅をかざし焼くのに大人も子どもも夢中です。その団子を食べると風邪をひかないと言われています。
豊田の「どんど焼き」は浅川河川敷にあるグランドで行われました。
一週間ほど前からりっぱな「サイノカミ」が姿を見せ、その日を待っていたのですが、何という事か、放火に遭い消失。
ここの 「どんど焼き」を再開させた地元のお人の言葉を借りれば、「罰当たりな馬鹿者」のおかげで急遽、当日の朝に地元の方々が新規に造り直すというハプニングに今年は見舞われることに。
で包んで焼くのが流行、他の地区に
も流行の兆しありとか
下:郷土資料館のは交互に紅白の
お餅を焼きます。
場所によってさまざまです" />
元の大きさまでは戻せなかったものの、それでも、300人以上の人が炎を囲み、冬の風物詩を楽しみました。
田んぼもすっかり無くなって、そこにはきれいな住宅が並ぶようになりました。
参加している人のほとんどは日野に縁あって住まわれることになった方々なのでしょう。
先ほどの地元のお人は「昔はみんな知っている人だったけど。もう新しい人ばかりで、顔を見ても判らないよ」、と感慨深げに、「前は田んぼでさ、だんだん端になちゃって、まだそれでも川があるからいいさね。でも、これからも楽しみにしていてくれてるんだから続いていくと思うよ」。
来年、この小さな「火祭り」に参加されてはいかがでしょうか。