百歳のおひなさま
今週から始まった日野宿本陣でのお雛さま。
江戸時代に造られた本陣にお雛さまが飾られるようになって今年で4回目。
年ごとに趣向が凝らされた展示が見られるとあって、年々この時期に訪れる方も増えています。
有山家のお雛さまたち
背丈以上の段飾りも小さく見えます
大正時代の古今雛
明治時代の古今雛
今年は卯年。釘隠しに使われている兎
今回特別に展示されているお雛さまがあります。
「有山家」に大切に伝えられてきたもので、明治44年に制作され、有山家へ嫁いで来たトクさんのお雛さま、ちょうど今年、百歳になるお雛さまです。
そこには、時の流れの綾を感じる、興味引かれるお話があります。
このお雛さまが「有山家」で華やかに飾られた部屋と日野宿本陣とは、切ることができない縁で繋がっているのです。
本陣屋敷ができて150年あまり、現在と建設当時と大きく形を変えている場所があります。
今、「有山家」のお雛さまが飾られている部屋に続いて、屋敷の南西に「上段の間」と呼ばれていた部屋がありました。
明治天皇が休息されたこともあり、屋敷の中でも特別上等だったと言われている部屋です。
その部屋は現在でも実在してはいるのですが、今はここにはないのです。
それは明治26年(1893)のこと。
日野宿の東が大火事に襲われました。
この火事で有山家も被災を受けてしまったのです。
当時の家長は有山彦吉。
彦吉は本陣屋敷の主人であり、土方歳三の義兄、そして新選組の最大の支援者だった佐藤俊正(彦五郎)の四男であり、養子となって有山家の家督を継いでいたのです。
息子の大事に父である佐藤俊正が行ったことは、「部屋を送る」ことでした。
明らかな時期は判りませんが火災の後、「上段の間」が有山家に移築されたのです。
お雛さまの持ち主だったトクさんは彦吉の子ども、つまりは佐藤俊正の孫である亮氏の夫人でした。
お雛さまは、ここのところ飾られることもなく、蔵の中で過ごしていたといいます。
久しぶりに登場した舞台が、本陣、つまりは縁と恩がある佐藤家の屋敷とは、100年の時を越えた、絵本にでもしたくなる、お話です。