「とうかん森」、生まれ変わる
密生と老木化、そして周囲の住宅地化のため手入れが行われていた「とうかん森」。
2月いっぱいをもって作業が終わり、新しい姿を見せています。
土方歳三が生まれる以前から多摩川のほとりにあり、11軒の土方家(現在は10軒)が氏子として、江戸時代から護ってきた稲荷が祀られているとうかん森。
日野市の天然記念物にも指定され、土方歳三ゆかりの地として訪れるファンの姿が見かけられます。
30mを超えるカヤの木を中心に、カヤが2本、ムクの大木が5本、そしてそれに絡み付いて大人の胴回りほどに育った藤の木。
樹齢は、若いものでもゆうに100年は越えています。
近年、周辺の住宅地化で衰えが見える木もあり、氏子さんたちは見上げるたびに、「なんとかしなくては」との思いを巡らしていたそうです。
これからも、「とうかん森」を護っていく作業が2月16日から行われました。
2月13日(日)には、この姿では最後となる初午まつりが氏子のみなさんによって行われ、間を置かず16日には、多摩一ノ宮、小野神社の神主さんを迎えて作業の報告と無事を祈る神事が行われました。
実際の作業は18日から、まず、全ての木に絡まり付いた藤の枝をはらうことから始りました。
作業員のお話では、「これだけで手間は2倍。大きな木が互いに枝を支え合って、しかも藤がロープで結びつける役目をしている。そうでなかったら、倒れる木があったかもしれない」。
事実、まず最初に、外見は何でもなさそうだったムクの木の一本は切ってみたら、ほとんど内部は腐って空洞になっていました。
藤を取り除いてから、大型クレーンを使って、上部から2mほどの長さで輪切りにして行きます。
狭い場所で、下には鳥居と祠、この仕事をこなせる職人さんの数が少なく、日曜日ならばなんとかという条件でお願いしたため、20日と27日の両日に渡っての作業となり、5本のムクが根本から1mほどの高さで切られました。
一番太かったもので目通りの周囲3.12m、細いものでも2mのムク、果たして、その切り株を見てみると、内4本の内部は朽ちはて外皮から20センチほどで、木が支えられていたことが判りました。
鳥居脇のすでに上部が枯れ落ちていた一本は、意外にも中心まで年輪が数えられるほどしっかりしていました。「南向きであり、早い時期に上が枯れたので、腐りが入らなかったのでは」とのこと。
祠脇の高さ30m以上のカヤがたぶん、一番古く、「カヤの木は成長が遅いから、もしかした石田寺のカヤと同じくらい古い木かもしれない」と、職人さん。「これからは、枝を十分に張ることができるので、立派な姿になる」とのこと。
「祠の下から伸びている藤を使って敷地全体に藤棚を作ってやれば、藤も長生きでき、花の時期にはきっと綺麗になる」、とも。
すっかりスッキリした森。
祠にも陽がさすようになりました。以前のうっそうとした気配はなくなりましたが、今度は2本のカヤが空へのび枝を張り、凛とした空気に包まれています。
切られたムクの幹の一部は、歴史を伝えるために鳥居と並んで残されました。来訪者のための椅子とテーブルとして利用されることにもなりました。ひとまずとうかん森はこの姿で、これからまた世紀を越えて、護られていくこととなります。