柿の里、南平
つい一ヶ月前までは「今日も夏日でした」とラジオが言っていたのに、秋へと慌ただしく風景のトーンもだんだんと色彩を落とし始めてきました。
その中で、長く尾をひく夕焼けの光色が一瞬に出す輝きに浮かび上がる柿色が引立ちます。
玉石の生け垣にはひいらぎ、そして柿
「禅寺丸柿」
古木もだいぶ切られたそうです
もともと柿は渋柿しかなく、熟柿や干し柿として祭礼の際の菓子類として供えられてきたとのこと。
洗柿(あらいがき)、柿(かき) 、 柿茶(かきちゃ)、 晒柿(しゃれがき) 、 黒柿(くろがき)。
柿の色をよぶ言葉も人の思いを映しているようです。
多摩南部から川崎、横浜にかけての多摩丘陵一帯では、江戸時代から明治にかけてある柿が一世を風靡した時期がありました。
「禅寺丸柿」といいます。
川崎市麻生区にある王禅寺に原木が残っている種類で、「柿生(かきお)」の地名の由来にもなっている柿です。
「禅寺丸柿」は江戸時代から戦後まもなくまで都内の市場に盛んに出荷され、農家の貴重な収入源になっていたとのことです。
南平地区は、日野市内でも柿の栽培が多くされていました。
今でも、この時期になると、「柿の里」といっても過言ではないくらい、たわわに実らせた柿の木が多く見られます。
見たところ次郎柿、富有柿、それに細長い顔をしたのは何という種類でしょうか。
もちろん「禅寺丸柿」もあります。
小さな実を寄せ合うように実らせているのがそうです。
100年を超した風格ある古木も見受けられます。
静かな古くからの里の秋歩きに、柿は色添えてくれてはいます。
でも近所の方のお話では、「これでもすっかり少なくなって、ほら、ここの分譲地もついこの間までは柿畑だったんだよ」、「枝を束にして、この辺でも、おばちゃんが売ってくれていたのに・・・」、とちょっと寂しげ。
増して秋を感じてしまいます。