多摩テック、48年間のありがとう

「明日、シャッターの閉まったままの多摩テックに来たとき、本当に終わったって思うんでしょうね」、閉園に向けてこの半年走り続けて来たスタッフが一言。

48年間のありがとう
最後の日、丘の上に光る多摩テックも見納めです
平成21年(2009)9月30日午後8時、多摩テックが48年間の歴史に幕を閉じました。

多摩テック、48年間のありがとう
最後の日はお天気も涙雨
多摩テック、48年間のありがとう
ファイナルロードは最後までお客様のために
多摩テック、48年間のありがとう
大きな想い出をプレゼント
多摩テック、48年間のありがとう
最後の最後の主役は・・

朝からの雨にも関わらず最後の多摩テックを惜しみ、日中は2000人もの来場者が詰めかけたとのことです。
毎日閉園時に流されるアナウンスも「またのご来園をお待ちしています」の声が急いでボリュームダウン。
すっかり暗くなった園内では、つい20分ほど前まで、うなりを上げていたアトラクションが最後の仕事を終え、代えて秋の虫の音が響きます。
そして、それまで輝いていた観覧車のイルミネーションが夜の空に溶けたその時、多摩テックは営業上の終わりを告げたのでした。
8時からは特設ステージでのお別れの会。
この日のためだけに作られた歌、「心の中に多摩テック」そして蛍の光に送られながら、最後のお客様たちは、65人ものスタッフたちによる「ファイナルロード」を通り抜けて、多摩テックを後にしました。
「ファイナルロード」を作るスタッフは、アトラクションでお客様を楽しませてくれていた面々、笑顔と涙の「さよなら」そして「ありがとう」。
一時間近くかかってお客様の見送りが終わると、その後からスタッフが正面ゲートから外へ、と同時にゲート全面に「48年間のご愛願ありがとうございました」と大きく書かれた幕が引かれ、文字通りの幕切れとなりました。
多摩テックは昭和36年(1961)多摩動物公園から続く多摩丘陵の谷間に開園しました。
当時はまだ日野町、多摩動物公園の開園3年後のこと。
この頃、周りの丘陵地では、緑の丘がどんどん削られ、宅地化が始まった時期でもあります。
昭和37年発行の日野町観光パンフレット「日野をたずねて」では、次のように紹介されています。
『多摩テックとは約13万平方米の多摩丘陵に自分で動かす乗物を沢山揃えた遊園地である。子供も大人もエンジンつきの乗物に親しみ自然に交通の知識、車の扱い方が身につくように、子供白バイ、ゴーカート等10数種の小型オートバイエンジンを利用した新しく珍しい乗物を用意し好評を博している。
 特にオートバイ運転技術向上のために山登りコース、デコボコ路、傾斜コースがあり、持込みや、貸オートバイで運転できる。』と。
最後まで、この最初の姿勢のまま、楽しませてくれていた多摩テックでした。

 
多摩テック、48年間のありがとう
9月26日のトライアルフェスティバルFINAL
国際A級スーパークラスライダー小川友幸選手

多摩テックの裏山にはバイクトライアルコースがあり、警視庁の白バイ隊が訓練をしている姿も見かけました。
このコースから、日本を代表する選手も育っていました。
あまり知られてはいませんでしたが、バイクのライディングスクールも開催されていました。
10年前には天然温泉クア・ガーデンも営業開始し、子供からお年寄りまで楽しめた多摩テックでした。

 

トライアルコースもクア・ガーデンもこの日でお終い。
ライディングスクールのエンジン音を聞くことももうありません。

48年間のありがとう
もうこの先へ入れることはできません
開園当時には土ぼこりが舞っていた園内は、48年の間に木々も大きく育ち、春には桜色に染まるようになっていた多摩テック。
来年の春、何も知らずに咲く花を、裏の山から眺めに行ってあげるとしましょうか。