街を見て学ぶ
東日本大震災が3月11日。
もう2ヶ月が過ぎようとしています。
5月のおなじみ、日野では「ひの新選組まつり」が中止。
近辺でも「燃えよ剣」の巻頭で、読者を惹き付ける府中の大國魂神社の「くらやみ祭り」も半世紀ぶりに神輿渡卸が中止。
それは仕方ないと思うか、残念と思うかはともかくとして、何かゆっくりした時間が過ごせそうな5月です。
でも、浅川や多摩川の水辺を散策していても、水辺が多いことはその反面、水の影響を受けるというわけで、日野で震度5強だった揺れと結びついてもいる津波被災地の光景は、どこか頭の片隅に、忘れようもなく残っているらしく、海ではないにしても、のんびりと街を流れる川沿いでも、「もしもこの場所だったら」と、自然と重ね合わせてしまいます。
事実、半世紀ほど前までは、お年寄りにうかがうところによると、「大雨が降ると、川は今の比ではなく増水し、堤防が切れることも多かった」、とのこと。
そういえば、土方歳三の生家も多摩川の洪水によって流されています。
150年前の話ですから、そんな昔と今は堤防だって違うし、大丈夫さ、と今は自信を持って言うことが出来ません。
そんなことを思いながらふと、目についたのが公園に掲げられている説明板。
日野市ではたくさんの公園に旧地名にちなんだ名前を付け、その由来の説明板がかかげられています。
気をつけて読んでみると、結構参考になるのです。
◯◯町◯◯丁目という町名は、住所を特定するには便利ですが、反面、その場所本来の地形とか歴史を踏まえて付けられた意味も消してしまいました。
すっかりと住宅地となり、どこを見ても同じ風景に見える場所が、旧地名では××沼とか呼ばれていたことがわかったり、「島」の付く地名の所はその昔、川の中州だったとか。
今回は1000年に一度の大震災と言われてはいますが、昔からその土地に伝わる言い伝えを守って難を逃れた事例もあったと聞きます。
震災のおかげと言っては語弊があるかもしれませんが、本来の土地のそのものの姿を垣間見えるだけでなく、その土地が経て来た歴史にうなずいたりと、公園の名前説明板は、街歩きのちょっとしたスパイスだったと改めて気付かされたのでした。