時を渡る神輿
「記録的な暑さです。この暑さは観測以来云々」、とテレビのアナウンサーが、伝えています。
22日の日曜日、この日も朝から太陽が照りつける中、堀之内の日枝神社の神輿が、繰り出しました。
堀之内の典型的風景です
二回目の休憩から出発です
日野バイパスを行きます
文字通り老若男女
堀之内研修所に到着、お昼です
このあたりに4車線の道が通ります
日枝神社の参道です
大人が担いで宮入です
堀之内は浅川に沿った低地に田んぼが広がり、川が削った段丘の上には畑、さらにその上には台地が続き、台地との境からは水が湧き、と多い昔から人々が暮らしてきた地域です。
お神輿は「子ども神輿」とは言っているのですから、主役はもちろん子ども、そしてちょっと前の子ども、かなり前の子ども、はるか前の子どもまで、一団となってのお神輿です。
そう、気分は「大人のお神輿」と変わりません。
朝9時に神社を出発したお神輿は、6時間かけて地区を巡行します。
基本は10分担いだら、休憩。
これを14回繰り返します。
休憩は実は休憩ではなく、本当は地区の主だった家への神社の御霊の訪問です。
各家では、飲み物や果物を供し御霊と連れて来てくれた担ぎ手を歓待します。
お神輿は例年より早く実りの重さを蓄えた稲穂の道を進み、用水路に足を落とさないかと心配したり、地区を横切る日野バイパスの車から好奇の目を浴びながら横断歩道を急ぎ足で渡ったり、田んぼのまん中に造られた宅地の四角い道を行ったり、坂道に差しかかると、「待ってました」とばかりに、担ぎ手が大人に変わったりと、変幻自在に堀之内を巡ります。
交通整理なのか、宮駐在所のおまわりさんも一緒です。
研修所でお昼ご飯。入口はご覧の通り
お昼ご飯は、「堀之内研修所」で女性軍が腕を振るったカレーライスに、みんなで舌鼓をうちます。
「堀之内一家」総動員でのお神輿巡行です。
鎮守への思いが込められた、お祭りです。
ところで、「堀之内研修所」、いかめしい名前ですが、ここは堀之内地区のシンボルとも言う建物です。
というのも、この場所には大正9年に共同のまゆ乾燥所が建てられ、昭和33年(1958)、農業研修を目的に堀之内青年研修所が建設され、後に「堀之内研修所」と名を変えたものの、堀之内で暮らす人々が自前で建て、管理する、そんな地区の気概が伝わる建物だからです。
この「堀之内研修所」も含めて、広がる田んぼも畑も、用水路も、家々を結ぶ細い道も、そして、みなさんの家も、全部の風景と思い出が、これから数年のうちにはかってない、変貌を迎えようとしています。
いよいよ、4車線の日野バイパス測道工事が眼の前にせまり、同時に行われる区画整理事業が本格的に始まるからです。
今の子どもが「ちょっと前の子ども」になるころには、カレーライスをみんなで食べた「研修所」があった所を車が疾走し、田んぼの道は新しい家が並ぶ道になり、スッキリと四角になった道をお神輿は巡ることになりそうです。