豊作のまつり、田んぼを抜ける
9月になると日野市内の神社ではいっせいに秋まつりが行われます。
日野はもともとは純農地域、各神社のお祭りは、豊作を祈る、と同時にこれからの秋の農繁期に向かって、いっときの娯楽といった兼ね合いも含んでいました。
8月20、21日に、その秋まつりの先陣を切る形になる川辺堀之内の鎮守、日枝神社の祭りが行われました。
祭りの日には「鎮守御祭禮」と染め抜かれたかれた幟が神社の参道に高々と掲げられ、鎮守の杜を一際大きく見せているムクの木と高さを競い合っています。
この幟、それまでの幟の痛みが激しくなったため、平成10年に新調されたものということです。その際、前の幟に書かれていた書があまりにも立派だったため、新調を依頼した工房が、その書を使って新調したい、との話になったとのことです。
前の幟が作られたのは、この川辺堀之内が桑田(くわだ)村だったころということです。桑田村の村名は、浅川北岸沿いのこの地域が水田地帯であり、また養蚕の盛んな地域であったことから名付けられたとのことで、明治22年4月1日から、明治34年4月1日、日野町と合併するまでのわずか11年間存在した村です。前の幟もこの11年間の間に作られたことになります。
宵宮の日、普段は静けさだけが漂う小さな杜からは灯りが漏れ、氏子の方々によるカラオケが風にのって浅川の土手まで聞こえてきます。
本祭では、子ども神輿が朝から夕方まで地区内を巡行します。今年は21日でした。子ども神輿といっても高提灯を先頭にする本格的なもので、担ぐ子どもの数よりも巡行に参加し世話をする大人の方が多く、その様子から祭がこの地区の大事な行事であることは、昔もまだ今も変わっていないようです。
川辺堀之内は、今まだ田んぼが広がる地区で、そこは春の訪れを伝えてくれるレンゲ畑となり、黄金の稲穂が秋を告げる豊かな場所です。でも、2、3年もすると計画から半世紀、国立と八王子を結ぶ国道20号バイパスが完成、この川辺堀之内地区内を通り抜けることとなっています。日枝神社のそばでも、バイパスに通じる都市計画道の建設がすでに始まっています。神輿もいずれは田んぼ道から、新しい道を巡行することになることでしょう。