欣浄寺
お寺の前を通る道はその昔、甲州へと続いていました
名 称 | 嶺北山碩伝院欣浄寺 |
場 所 | 日野市日野本町4-16-17 |
電 話 | 042-581-2630 |
交 通 | JR中央線日野駅下車徒歩5分 |
井上源三郎資料館の斜向かいに幼稚園があります。名前は欣浄寺みのり幼稚園。その名の通り欣浄寺が昭和40年から経営しており、園庭の隣に山門が見えます。
お寺の前を通る道は現在の甲州街道の道筋ができる前からの道で、滝山をへ、遠く、甲州方面へとつながっていたと考えられている道です。
欣浄寺はかつては八王子滝山大善寺末、元和6年(1620)、硯伝という僧が草庵をむすび、増上寺の長老超誉が、正保元年(1644)中興開山したと伝えられています。現在は芝増上寺の教区にあって、大本山知恩院末になっています。
欣浄寺には明治5年(1873)、「日野郷學」という日野小学校(日野一小)の前身となると塾舎が佐藤俊正(彦五郎)らによって開かれています。
境内には井上源三郎が学んだ寺子屋の師、文久3年(1863)8月に亡くなった千人同心日野義貴の顕彰碑が建てられており、当時新選組六番隊長だった源三郎にも知らされたのか、碑の台座の裏には、「井上源三良」と刻まれています。
山門以外は大正7年(1918)2月の火災で、本尊、本堂、庫裡、古記録などすべてを失ってしましました。昭和4年(1929)に再建された本堂には、36cmの阿弥陀如来木像の坐像が安置されています。