筋骨隆々カッパハウス
来年の3月オープンを目指して、着々と工事が進められている、「市民の森ふれあいホール」。
工事用の足場とシートも取り外され、真新しい姿を見せています。
なかなか手強いカッパハウス
屋根は後から付けられたもの
取り壊し寸前の蚕室。床に通風口が見えます
取り壊しが始った蚕室
3台の重機で一週間後。のっているのは床
このホールの北側に並ぶイチョウ並木は、ここが、日野桑園だった証。
さらに並木にそって、残されていた、桑園時代の建物の解体がひっそりと8月中旬から行われました。
この建物は、桑園時代には旧第6蚕室と呼ばれていたもの。
名前の通り、内部の部屋では、日野桑園での研究テーマに基づいて、「桑の葉」を実際に蚕に与える作業が行われていました。
今、巷では「外気を取り込む家」で、快適に、との宣伝を見受けますが、お蚕さんのためにあつらえられたこの桑部屋はまさにそのはしりと言ってもいい設備が整えられていました。
土台が高く、床下の風通しが良く作られ、しかも、蚕棚が並んでいた床には開閉式の通風口が設けられていました。
寒くなると、部屋全体をスチームヒーターで暖められる仕組みで、天井には空気抜けもありました。
さらにすごいのは、現在も当時の姿をとどめ、「桑ハウス」と呼ばれている、昭和の初期に建てられた旧第1蚕室が木造造りなのに比べ、昭和10年代に建設されたこの第6蚕室はコンクリート造りだったということ。
保温性や外気からの影響を最小限に防ぐためかは定かではありませんが、そのコンクリートたるや、解体屋さんに「この規模の建物で、こんなに厚いコンクリートはなかなかない。しかも、入っている鉄筋の太さや数がすごい。昔はこんな作り方をしていたのかな。これでは期限に間に合わせるために、重機をもっと入れなければ」と言わしめるほどの頑丈さ。
床に重たいユンボがのっかっても、びくともしないのですから相当なものです。
時期が時期だけに、それに、陸軍立川基地も川向こうに展開していた場所がら、時局に合わせて違った使い方も考慮されていたんでは、などとうがった思いも浮かびあがります。
日野桑園が完全に筑波に移転したのは昭和55年のこと、しばらくは立入り禁止となっていましたが、そのおかげで、自然のままに育った木々。
「自然体験広場」として親しまれるようになったのが、ここ20年ほどです。
その間、誰が付けたかは知らないけれど「カッパハウス」と呼ばれ、絶好の肝試し場だった旧第6蚕室も、もうすぐ「市民の森ふれあいホール」に沿った道の下に姿を埋めることとなりました。