平山季重 Vol.5「平山季重」の史跡

「平山季重」の史跡を訪ねてみました。

平山城址公園駅付近

平山城址公園駅ロータリー

駅前ロータリーがある場所には、昭和42年まで平山小学校がありました。この場所には、明治17年小学校ができる前は大平山大福寺という寺の敷地でした。この寺は天正年中(1573〜1591)西多摩の平山氏が先祖の季重を供養するために建てたものです。大福寺廃寺後は境内にあった墓碑など季重に関係するものは宗印寺に移されました。平山小学校の校歌では「季重公のれい地とてその名もしるき平山のえにしもつきぬ古きあと」と唱われています。

平山季重遺跡之碑

平山図書館敷地内南、ケヤキの木の下にあります。この石碑は、下総国香取郡鏑木(かぶらぎ)村(現千葉県香取郡干潟町鏑木)の豪農平山正義が、幕末の嘉永年間(1848~1854)に、先祖の平山季重の遺跡を後世に伝えようと大福寺に建立したものです。

左にあるのは大正14(1925)年、七生青年団平山支部が立てた「季重公霊地碑」です。

大福寺跡地は平山季重の居館跡ともいわれています。ただ、居館跡は駅から西北、浅川を渡った大名淵と呼ばれている川に面した台地にあったという説もあります。大名淵よりもさらに西より、季重が鎌倉八幡宮を勧請したと伝えられている氏神、八幡神社近くだったのでは、という説もあり、確かなことはわかっていません。

宗印寺

現在、平山季重に関するものはこの寺に移されています。

季重神社

宗印寺の裏山を上ると都立平山城址公園があります。公園入口の北側、丘陵が少し突き出ている所に平山季重神社の小さな祠が建っています。

都立平山城址公園あたり

「平山城址公園」というくらいだからお城の跡と思いきや、物見台程度はあったかもしれぬ、いやいやちゃんとお城の遺構があるではないか、昭和31年に書かれた公園の由来によると、そもそもは京王電鉄が沿線のレジャー施設として公園を開園した時に、ここに平山氏の物見台があったとのいい伝えがあったので、これにちなんで平山城址公園と名付けたのだ、とあります。

昭和30(1955)年に平山駅が平山城址公園駅と改名されていて、これはちょうど公園の開園と時が合っています。お城の遺構なる説もここに大正時代ゴルフ場が造られていたことを考え合わせると、もしかしてティ−グラウンドかも、とも思えてしまうのです。