平山季重 Vol.2 ふたりの武士

「新選組」の出来事が今でも、見て来たように語られています。


 それはテレビとか、出版物とかで接する機会が多いというのが当然といえば当然で、さらに土方歳三の写真が残っていて、これがブロマイドばりだからなおさらのこと。
 当の土方歳三たちの時代に思いを馳せてみると、そのころの地元のヒーローといえば誰だったのか?思いっきり想像を膨らませてみると、平山季重もその一人に加えてみても面白そうです。
 元暦元(1184)年1月、木曽義仲を撃つべくして遣わされた義経に従い、京へと向った季重は宇治川の戦いでは敵陣に先頭を切って斬り込んでいます。
季重 一の谷の合戦時の活躍は熊谷直実とともに平家物語に「一二のかけの事」として描かれ、また、これを題材に文楽や歌舞伎に取り上げられ、今なお人気がある「一谷嫩(ふたば)軍記」が創られています。
 「一谷嫩軍記」はまず、人形浄瑠璃では宝暦元(1751)年、歌舞伎では翌年初演されています。物語の中で平山季重は熊谷直実のライバルとしてどちらかというと悪役登場します。
 幕末から明治にかけて新選組が活動したころ、「一谷嫩軍記」は名優四代目中村芝翫(なかむらしかん)によって演じられています。昨今は曾孫にあたる 中村 橋之助が熊谷直実を演じ、話題となりました。
その「一谷嫩軍記」の中で地元出身の平山季重が登場するわけです。幕末・明治を通じて「歌舞伎」は、庶民が熱中した楽しみの代表格でした。人気役者は"役者絵"として浮世絵で描かれています。つまりブロマイドも人気でした。
 
 そんなことを考えてみますと、平山季重の名は今以上にポピュラーだったのではと想像できます。
 武士社会の始まりの時、武蔵武士平山季重は多摩から、権力争いに巻き込まれ争乱の中にあった京へ上がり、数々の功績により鎌倉幕府では元老に取り上げられています。
 平山季重から700年後、武士社会が終焉を迎える時、混乱の京に立った土方歳三は季重のことを知っていたのでしょうか。どちらにせよ、「最後の武士」とも評されている土方歳三、彼は「最後の武蔵武士」でもあったようです。