日野のまちに神輿がくり出した

今年は例年より少し遅く、9月19日の宵宮から始まった八坂神社の例大祭。
3日間にわたって、日野のまちにはお囃子が鳴り響きわたりました。

日野のまちに神輿がくり出す
甲州街道駅付近のお神輿。区画整理が終わったこの辺りでは田んぼはまちに変わりました

日野のまちに神輿がくり出す
熱気に包まれる宮出し
日野のまちに神輿がくり出す
日野宿本陣の前を進みます
日野のまちに神輿がくり出す
初期の甲州街道に入った旧家が最初のお仮屋
日野のまちに神輿がくり出す
半日かけて無事に宮入しました

21日の夜、市内の各社や地区のお神輿が勢揃いする神輿パレードまでの3日間、「八坂の祭りは雨が降る」の言い習わしはどこへやら、天気に恵まれた例大祭でした。
祭りの中心となる八坂神社のお神輿の巡行には決まりがあります。
神社を出たお神輿は、甲州街道-日野は甲州街道の宿場町でした-へ出ると、東か西へ、その巡行コースを一年ごとに向う先を変えています。
巡る地域が広いので、とても一日では巡行できる距離ではないためです。
昔は、宮出しの際、鳥居を出た所で、「力任せの引き合い」でその年の巡行先を決めていたとのこと。
今年は、東コース、5.6㎞の行程です。
甲州街道を日本橋方面へ向かい、半日かけて、地域を巡ります。
20日は連休の最中でしたから、本来ならば、お神輿も行楽へ向う渋滞中の車をかき分けて進まなくてはならないはず。
でも、甲州街道は日野バイパスの開通によって、交通量がめっきり減ってしまい、幸いにもなんの遠慮することなく渡御。
この時ばかりはお神輿が街道の主役です。
日野の甲州街道は今も江戸時代そのままの道筋で使われ続けているのですが、特に東コースでは、日野の渡しを通る道に変更される前までの80年間あまり、江戸初期に制定された道をお神輿が巡行します。
日野警察署から斜めに入る道がそれで、幅はお神輿いっぱいいっぱい。
しばらくは古くからの家が並び、屋敷の蔵や石垣を抜ける姿はタイムスリップしたようです。

 

ですが、現実にはこの地区も区画整理が待っており、ほんのすぐ先までは事業は迫ってきています。
近いうちには、江戸初期の甲州道中も姿を消し、きれいに整理された道とまちの中をお神輿が進むことになりそうです。

日野のまちに神輿がくり出す
自慢のお神輿が練り歩きます
日野のまちに神輿がくり出す
日野のまちに神輿がくり出す

日野の各地域にある神社の多くは、この八坂神社の例大祭に合わせるように、例大祭を行っています。
そこでも、お神輿がそれぞれ地元の人たちによって小さな農道を抜け、用水に沿って、地域を巡行しています。
そんなお神輿たちが大集合するのが、「神輿パレード」です。
実は八坂神社の例大祭は前日には終わっており、この日は八坂神社境内にある八幡社の例祭の日。
「神輿パレード」神事的な意味合いはないのですが、年に一度、「日野みこし連」が中心となって、日野の各地から自慢のお神輿を持ち寄り、担ぎ合う交流の場となっています。
新井、石田の石明神社、上田の北野天神、四ツ谷の日野宮、高幡の若宮愛宕神社、宮の別府神社、谷仲山は神明社、東光寺から東光寺神明社、そして万願寺の八幡大神社と各地域からのお神輿に加え、地元は加組などの自治会や愛好会のお神輿も合わせ、総勢19基が練り歩きます。
パレードの中に身をおいて熱気に圧倒されながら、ふと日野駅を見やると、ホームからもこちらを見つめる人の影が見えます。
喜ぶべきか悲しむべきか、駅近隣に他のまちのように繁華街がない日野です。
加えて駅のホームはまちを見下ろす土手の上にあり、さらに視界を邪魔する壁も広告もさしてなく、ホームの上からも電車の車窓からも、お神輿たちの競演は丸見えです。
「神輿パレード」はちょっと遠いホームから見ると、暗がりに開いた夏の終わりを惜しむ花火、のように見えていたかもしれません。

日野のまちに神輿がくり出す
四ツ谷地区からはお囃子も参加しました