日野用水

日野を語るとき、用水は欠かすことができません。

多摩川と浅川に挟まれた低地に張巡らされた用水の総延長は日野市全域で170㎞にも及び、多摩の米蔵と呼ばれた穀倉地帯を支え、実収三千石ともいわれた石高を日野郷にもたらしていました。

日野用水はそれらの中でも古く、江戸時代以前、この辺りが小田原北条氏の支配を受けていた永禄10年(1567)、滝山城主、後の八王子城主北条氏照の力を借りて、美濃からやってきた上佐藤家の先祖である、佐藤隼人が日野用水を開削しました。 それから440年余り同じ場所を用水は流れ続けています。

土方も近藤も沖田も、映し出した川面

現在の取水口は八王子市にある平堰からで、途中で下堰掘と上堰掘に分かれ、甲州街道に沿った街並をはさむように流れています。

今でも春は小鮒が遊び、秋、落鮎も用水に流れ込んできています。

話しはそれますが、この平堰は夏になると25,000羽以上ものツバメが夜を過ごすねぐら。夕方になるとツバメの乱舞が見られる場所になっています。

また、土方歳三が通った下佐藤家(日野宿脇本陣)の敷地は甲州街道からこの用水まで続いていたそうです。日野用水に沿った道を下っていけば歳三の生家がある石田村。歳三もこの水辺を歩いていたことでしょう。

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