百草の丘で歴史ロマン紀行
春先の梅から、四季と通じて、親しまれている百草園。
百草の山は江戸時代から景勝地と知られていたらしく、当時の紀行書にもよく登場しています。
この百草の丘で、鎌倉、平安時代にさかのぼる「歴史ロマン紀行」が市民ボランティアも加わって行われています。
スダジイの巨木が天を覆い、ウグイスの響きがこだまする百草の山合に現われた集団。
手には、1mを越す鉄棒を持ち、枯れ葉が覆う地面をねらいを付けるでもなくザクッザクッと刺しながら進む。
事情を解していなければ、少しあやしくも見えます。
6月21日、郷土資料館が行っている真慈悲寺を探る事業に参加しているボランティアスタッフによる現地調査の様子です。
「真慈悲寺」とは鎌倉幕府の正式の歴史書「吾妻鏡」に「御祈祷の霊場」と記され、相模・武蔵の有力寺院としてその存在を誇示していたといいます。でも、その正確な所在は判らずになったままです。
その、「真慈悲寺」が京王百草園の発掘調査のおり、大量の「中世瓦」が出土したことから、百草一帯に真慈悲寺の跡があるのでは、と推定されているのです。
今回の調査では百草園と百草八幡神社の裏手、「朝日山」と呼ばれている場所での遺構調査。
鉄棒は、地中の構造物を探査するためのものでした。
カツンと手応えがあれば、「何か石組みがあるのでは?」、スルリと深く刺されば、「古井戸の跡では?」、とロマンが広がる作業です。
この日はちょうど、百草園境内で地中探査レーダーを使った調査も行われており、普段なかなか目にすることができない様子も見られ、ボランティアスタッフの方々も興味津々。
この真慈悲寺を探る旅はこの先も続いていきます。