「国道20号」を最後の渡御、八坂神社お神輿巡行
八坂神社の前を通る「国道20号」は、慶長7年(1602)、江戸幕府によって五街道のひとつ、甲州道中として整備された道です。
慶長10年(1605)には日野はその宿場町として制定されています。
維新後、1885(明治18)年には国道に指定され、戦後昭和27年(1952)には現在の「国道20号」の名で呼ばれるようになりました。
そして、今年2006年、この年が八坂神社のお神輿が国道を渡御する最後の年となるはずです。
とは言っても、お神輿の渡御がなくなるわけではありません。
話は古くなりますが、土方歳三が函館で亡くなった翌年、明治3(1870)年は、もともと本宿(日野駅の北東)にあった普門寺と八坂神社ー当時は牛頭天王社ーが現在の位置に遷座されて、300年にあたる年でした。
この機会に佐藤彦五郎の子、俊宣が発起人になり、10年の歳月をかけ、境内を一新しています。
現在、千貫神輿と呼ばれ、渡御しているお神輿も、今なお使われている石造りの蔵風の神輿庫もこの時新調されたものです。
それ以来百年以上にわたり、お神輿の「国道」を渡御して来た歴史、が、今年終わるということです。
理由は来春、中央高速国立インターから八王子の高倉まで、計画から50年余りを経て「国道20号日野バイパス」が、完成予定。
これに伴って、現在の日野の街中を通る「20号」は国道から都道になるなのです。
都内からは全て2車線で続いて来た「国道20号」は、立川の日野橋交差点を過ぎると1車線に、そのまま、日野市域を抜け、八王子市域に入るとまた2車線に、と日野だけ拡幅工事が行われずにいたのも、このバイパス計画があったからだったということです。
お神輿は、江戸時代甲州道中を中心にした「日野本郷」と呼ばれた地区を巡行しています。
現在では、その「日野本郷」を八坂神社を中心にし、日野宿本陣方面へ向かう「東コース」と、東光寺、四谷(いずれも栄町)へと向かう「西コース」を隔年ごとに巡行しています。
そして、今年は「西コース」。
鳥居をくぐり、宮だしを終えたお神輿は、「国道20号」を西へ、JR日野駅を通り過ぎます。
その日野駅の農家風とも民家風ともいわれる駅舎は昭和12年、中央線が電化複線化された際、豊田寄りにあった駅を新国道に面した今の場所に移し、新築されたものです。
中央線のガードを抜けると日野用水沿いに東光寺地区を目指します。
かたわらには稲が穂を垂れた田んぼが見え始め、畦には彼岸花も咲き始めています。
これから先、「西コース」をお神輿は日野の原風景が残る地区をのどかに巡り、夕方、宮入りとともに来年まで一年間、静かな時を過ごすこととなります。