つかの間の歴史探訪

年が新しくなっても、毎日の営みはそうは変わらないものです。
変わらない毎日でも、積み重なると、後になって振り返ってみればあるその時が、ガラッと変わった瞬間だったと気が付かされることがあります。

つかの間の歴史探訪
ブルーシートが外されている部分が台地と土手の境

つかの間の歴史探訪
灰色の地層が平山砂層
つかの間の歴史探訪
河床の基盤を補強します
つかの間の歴史探訪
一昨年までは田んぼでした
つかの間の歴史探訪
携帯電話が生産されていた東芝日野工場跡地
つかの間の歴史探訪
左半分の農地にはいずれバイパスが通ります
つかの間の歴史探訪
'「耕地整理記念碑」の背後も整地されました

ぶらぶらまちを歩いてると、今の日野はその時なのかもしれないと、思わされる光景によく出会います。
中央線は多摩川の鉄橋から田んぼを横切るようにして築かれた土手の上を走っています。
土手が台地の縁と交わる地点、そこは昔の甲州街道が通り、それに接するようにJR日野駅は建てられています。
今その土手の一部を切り崩して並行している道の歩道拡張工事が行われている最中。
工事現場に顔を出しているのが、本来ここにあったはずの台地の地層と土手の盛り土部分です。
台地側に見られるのは平山砂層と呼ばれる地層。
日野の基盤を作っている地層だそうです。
その上にのるようにして見えているのが、鉄道工事によって盛り土された土砂部分です。
これは、ここから豊田よりの台地を開削した際に出た土が利用されています。
ともかくも、明治22年に開通した中央線、当時は甲武鉄道ですが、それ以来120年ぶりに姿を見せていることになります。
120年前の建設中の様子や鉄路が引かれる前の風景を想像したりしながら眺めて、つかの間の時間散歩です。
地層絡みでもうひとつ。
日野市内を流れる浅川では、ここ数年間にわたり水量が少なくなる冬の時期になると、河川改修工事がどこかで行われています。
川底を掘り下げ、河床が削られるのを防ぐためにコンクリートで固め、土手を強化する工事です。
春になると埋め戻される河川敷は一度大水が出ると、そんな工事があったことなど忘れてしまう位に姿を変え、さらに2年も経つと、「自然な河原」に戻るのですから、工事によって自然が失われるなんてことはありません。
いつもは、当然見る事ができない、川の下も興味深いものです。
深く掘り下げられた地盤からは、伏流水がしみ出しており、普段も「川の下に地下の川」があるんだろうなということも、砂利の深さやその下の地層がどうなっているのか、その重なりも目にできます。
ほんの数ヶ月でまた埋め戻されて、たぶんもうこの先は見る事ができない、これもつかの間の見学会です。
これ以外にも、区画整理事業地を見ればつい1年前までは、のどかな農地だった所が整地され、次々と新しい住宅が建設されている様子は、新しい「街」の誕生に立ち会う瞬間。
大工場が移転した跡地が整地された場所では、逆に工場ができる前の原風景を彷彿することができます。
明治時代の終わり、米の生産量増進のためにその時の人らが「耕地整理」をしたその場が役目を終え、宅地と大きく変貌して来ました。
正にその象徴でもあった、「耕地整理記念碑」そのものがいよいよ宅地に埋もれようとしているのも、今です。
歴史探訪というと、「古きを訪ねる」というイメージが強いのですが、未来から見れば今は「古き昔」。
未来からタイムマシンでやって来た気分でいろいろ歴史探訪できる「変貌する今の日野」です。