日野宿で「けんころ地蔵」開眼

巷で高齢化社会が話題にならない日はありません。
世界一の長寿国日本ですので、あたり前といえばあたり前です。

日野宿で「けんころ地蔵」開眼

日野宿で「けんころ地蔵」開眼

長生きして、人生を無事に全うする、周囲に迷惑をかけないで最期を迎えたい、誰もが願うことながら、そうは問屋がおろしてくれないのがこの世の中です。
甲州街道の宿場だった日野のまち中には、江戸時代に建立されたお地蔵さまがいくつかあり、行き交う人も普段の風景として何の違和感もなく通り過ぎ、ある人は手を合わせ、長く住む人たちは、今をもって講中を開き、護り続けています。
また、眼に付くことはありませんが、古くからの家の中には、庭にお地蔵さまをお祀りしている方もいらっしゃいます。
そんな日野宿に「けんころ地蔵」こと健康長寿地蔵尊が開眼されました。
日野では平成の時代になって初めてのお地蔵様です。
場所は日野宿の中心地に位置する、普門寺山門脇。
土淵山観音院普門寺の創建は室町時代の始め、もとは日野駅より西にありましたが、江戸時代直前、甲州街道の道筋が整備されたのに伴い、現在の地に移ってきた、日野宿と共にあるお寺です。

 
日野宿で「けんころ地蔵」開眼
長寿の方とお子さんの除幕式でお披露目です
日野宿で「けんころ地蔵」開眼
日野宿で「けんころ地蔵」開眼
開眼後にはさっそくお参りの列
日野宿で「けんころ地蔵」開眼
リトルホースも健康長寿祈願

昭和50年代までは、商店が並んでいた甲州街道も、大型スーパーが近隣にできると買い物客が去り、2008年には日野バイパスが完成し、400年来日野のメインだった道路を行き交う車もかなり少なくなっています。
歩きやすいけれど、まちが静かで、物足りない。
東京都で唯一残る本陣建築である、「日野宿本陣」があるものの、それと合い呼び合う何かがないか。
そんな地元商店会が眼を付けたのが、長野県で名を馳せている「ピンコロ地蔵尊」。
「ピンピン生きてコロッと逝く」、のフレーズを掲げ、多くの人を呼んでいるお地蔵様です。
すわ、日野にも「ピンコロ」を作って大勢に来てもらおう、と腹案を練ること数年。
普門寺の山門脇への設置も無事に決まり、さて、いよいよ実現へと一歩を踏み出したその時、思わぬ敵が現われたのでした。
それは、お地蔵様とは似つかわしくない、「商標登録」の壁。
「ピンコロ地蔵尊」には、万人の願いよりも大切な、世知辛い願いがまず込められていたのでした。
でも試練を幸いに導くのが仏の御心というもの。
「ピンコロ」の名称を諦めたことにより、邪心が薄らいだころから、着々と物ごとが進み出したのです。
心配の種だった地元の方々の篤志に頼った建立資金も蓋を開けてみれば、あれよあれよという間に予定額を大幅に上回ってしまいました。
きっと、古くからお地蔵様や石仏といっしょに暮らしてきた日野宿の人たちの心根に潜むDNAに響いたのでしょう。
おかげで諦めていた蓮台も設置でき、さらにうれしいことに、銅板葺きの祠もこの地に根をはる職人さんたちが寄進してくださいました。
そして、気が付いてみれば、想いそのものの「健康長寿地蔵尊」が、すくっと立っていた、いや、むしろお地蔵様がご自分で住まいも用意されてやって来ていた、という方が当たっているかもしれません。
12月11日に行われた開眼供養は晴天に恵まれ、高幡不動尊から貫主様を始めとする3人の僧侶をお迎えして、普門寺ご住職とともに、盛大にとり行われました。
もしかしたら、これだけの規模で建立を祝うのは、世紀をまたいでの出来事でしょう。
「けんころ地蔵尊」の建立に込められた日野のみなさんの思いが、これからお参りされる方へと届くことを願うばかりです。