願いのかたちもいろいろです:高幡不動尊の豆まき式
2月に入って恒例の高幡不動尊の豆まき式も行われ、いよいよ春はそこまでやって来ています。
大勢の参拝客が「参加」する高幡不動尊の豆まき。
昨年は雪にたたられ、当然参加者も不調に終わり何とも不完全燃焼。
その帳尻を合わせるかのように、快晴に恵まれた当日。
ご時世も手伝ってか豆がまかれる不動堂前は満員電車なみの人で埋められ、「福はうち、福はうち」、の高幡不動尊特有のかけ声に合わせてまかれる豆に合わせて波打っていました。
日本のお地蔵さま100 選の説明も
盛大に「福」を願う豆まき式に対して、前々日の1日には地域の願いを込められたお祭りも開かれていました。
高幡不動に対してJR日野駅がある日野本町周辺は甲州街道の宿場町として歴史を刻んできた界隈。
当時の本陣の建物もそのまま残っていますし、探せば江戸時代からの町割りも垣間見え、街道の裏に入り込めば小径に沿って用水が流れ、かたわらのお地蔵さまには花が絶えることはありません。
新選組6番隊長の井上源三郎が生まれたのもそんな日野宿の裏通り、「北原」と呼ばれる地区でした。
その北原にも古くから、明和3年(1766)に祀られたお地蔵さまがあります。
目を病んだ人が唐辛子を供えてお願いするとご利益があるとのことから、ヤンメ地蔵ともトウガラシ地蔵とも呼ばれ親しまれているお地蔵さまです。
言い伝えによれば、かの沖田総司もお参りしたとか。
加えれば、このたび歴史読本による『日本のお地蔵さま100 選』にも選ばれてしまいました。
このお地蔵さまを囲んで、北原の人たちは長く、毎年2回、2月1日はテントウ念仏(お天道様があるうちは念仏を唱える)10月23日の夜更けまでのおこもりと呼ぶ念仏講を開いています。
お供物を持ち寄り行う講中は、四方山話に花を咲かせる場でもあるとのこと。
以前は当番の家で講中が行われていたとのことですが、現在は「北原自治会館」までお地蔵さまを運んで行われています。
運び手は自治会で当番が決められており、当日はその場に似つかわしくない、若い親子連れも「運びの当番」で参加しており、何故か、それはほっとする光景でもありました。
この「北原自治会館」、戦前の建物で、建設当時はハイカラで「北原倶楽部」と呼ばれ、地区の若者たちの憩いの場だったそうです。