さいかち堰のサイカチ
日野を流れる浅川の土手は格好の散歩道です。
多摩川との合流地点から、中央線の浅川鉄橋まで、左岸、右岸と所々橋を渡りながら歩いて行くことが出来ます。
浅川には土手が造られ、さいかち堰からは取水できなくなりました
大きな房がゆらりゆらり
15センチから30センチはあります
同じ形はひとつとしてありません
種はスイカぐらいです
切り刻みました
ストローでブクブク
日野の浅川で一番上流にある橋が長沼橋。
橋を渡れば、京王長沼駅もすぐとあって、西平山の住宅にとってはなくてはならない橋です。
長沼橋の左岸を上流へたどると、かたわらに用水の流れが現われ、そして少し行ったところに、目通りの直径が1mにもなりそうなサイカチの大木がそびえています。
近くには昭和10年に造られた水門が草に埋もれています。
先ほど見えた用水は、かってはこの浅川から取水され、この水門から流されていたのですが、浅川の河川敷の低下と平成17年に土手が築かれ、現在はその遺構を残すのみとなっています。
この用水は上村用水といいます。
掘られた時期は定かではありませんが、江戸時代の早いころではと考えられています。
サイカチの木があったことから上村用水の取り入れ口はさいかち堰と呼ばれていました。
サイカチの木の根元よりも高い所に、流れが見えます。
こちらは川北用水(上のまち用水)。
さいかち堰から取水していた上村用水が潤す浅川に沿った低地部は、たびたび洪水に襲われることがありました。
そのため、段丘の2段目も田んぼにし作柄を安定させるため、段丘と浅川の合流地点、浅川鉄橋付近から、崖の中腹を掘って這い上がるようにして造られているのが川北用水です。
この用水が何時造られたかは定かではありませんが、造られて300年は経っていると考えられます。
川北用水は「関東の吊り堰」とも呼ばれ、往時の土木技術の高さが見られる貴重な土木構造物です。
川北用水もやはり今では、堤防の構築によって直接浅川から取水することができなくなり、浅川鉄橋の下で、浅川本流の下を流れる伏流水を川床部からポンプで汲み上げた水が流されており、これもまた、全国的に珍しい構造となっています。
上村用水も川北用水をサイカチの木の少し下流で分流して、流れ続けています。
サイカチはマメ科の落葉高木で、河辺や湿地によく自生し、夏に緑黄色の花をつけ10月ごろには大きなサヤが目立ってきます。
鋭いとげが幹からも、枝からも出ているので、立木のままでも防御効果があり、敵の侵入を阻む目的で、城や砦の周囲に植えられたことも多いということです。
10月末ごろからサヤはカラカラに乾燥し、木枯らしとともに地上に落ちてきます。
大きなサヤの中には、その大きさとは不釣り合いな、小さな種が入っています。
何本かまとめて手に取って、振ってみるとシャカシャカと、小気味いい音、マラカスを振っているみたいです。
種を取り出そうとサヤを開けてみると、少し手がネバネバしてくるので、調べてみると、サポニンという成分があり、昔は石けんの代用としていたということ。
サヤを細かく刻んで、まずは水に浸してみると、茶色になるだけ、どうやらサヤの色素だけ溶け出したみたいです。
ではと、煮出してみると、先ほどとは違う匂いが漂ってきます。
試しにストローでブクブクしてみると、泡がプクプク、いい感じです。
さらに調べたところ、同じサイカチでも、生育している場所などの条件で、サポニンの成分分量にも差があるそう。
「実験」前のサヤの処理でも、随分と違うそうです。
ここまでしなくても、形だけ眺めてもなかなか趣旨があり、ちょこっと、窓際なんかに置いてみても面白そうです。