東芝のみなさんから石巻のみなさんへ

12月4日のお昼過ぎ、大型トラック4台に満載されたオフィス机やスチールロッカーが石巻へ向けて出発しました。

東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
石巻へ向けて出発です

東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
ずらりと並んだオフィス家具
東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
ここでは携帯電話が作られていました
東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
まずはミーティング
東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
積み込み開始
東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
丁寧に清掃しました
東芝のみなさんから石巻のみなさんへ
何故か記念写真も

出発場所は、東芝日野工場。
東芝の携帯電話製造主力工場、正確には、「だった」、工場からです。
折しも、今年、東日本大震災が起きた3月、日本中がまさにその渦中にあった3月末。
昭和39年の製造開始から半世紀あまり、日野の大工場のひとつだった「東芝日野工場」が閉鎖されました。
電話器の製造が主だった工場は、そのまま携帯電話への製造を受け継いでいたものの、東芝の携帯電話からの撤退を受けて閉鎖、今後工場建物も取り壊され更地にし、売却される予定です。
閉鎖以後、ひっそりとした工場内には1000名余りの従業員のみなさんと共に仕事をしていた、オフィス机やロッカー、椅子などが、大量に残され、次の仕事のあてを探していました。
そのうちの一部が、今回石巻へと向かうこととなったのです。
石巻の漁業関係の団体や会社からの要望にそって、工場内から集められていた机や椅子は先週のうちに一つひとつ、嫁入りのために念入りに雑巾がかけられ、3月以来のホコリも落とされていました。
朝から始まった積み込み作業はお昼過ぎに全て完了、と思いきや、まだまだ積めるというか、詰めるスペースを作っては、さらに積み込み、予定していたより多くの品物を石巻へと送ることができました。
翌朝、石巻市役所でそれぞれ新しい仕事場へと引き渡されるのだそうです。
日野では、技術者たちが眉を寄せて設計に向かっていた机が、今度はどんな主のもとで使われるのでしょうか。
工員さんたちの賑やかな談笑の場となっていた食堂のテーブルには、新鮮な魚が並ぶことになるのかも。
運送を担ったのは佐川急便です。
宮城、仙台ナンバーのトラックに乗務しているのは、全国から東北へ応援に駆けつけている従業員のみなさんということでした。
最後に、今回の寄贈は10月に石巻市で災害地の研修視察を行ったNPO法人日野市観光協会が、何か支援ができればと、元東芝社員である沢田理事が窓口になり、閉鎖された日野工場のオフィス用の机や椅子、スチール棚、ロッカー、下駄箱、食器に至るまで、600点以上を(株)東芝様から提供を受け実現したものです。
寄贈品の清掃作業は観光協会職員、理事、昭島市の(株)ケネック様と2日間かけて行い、このたび無事に石巻へ送り届けることができましたことをご報告いたします。