緑が残るということ

緑地の保護と管理をしている「倉沢里山を愛する会」。
昔ながらの里山の風景と自然が残されている百草地区の倉沢で活動している市民グループです。

緑が残るということ
「倉沢里山を愛する会」の活動拠点としている緑地です

緑が残るということ
林の小径には10年の振り返る展示も
緑が残るということ
緑が残るということ

多摩川、浅川沿いの低地には用水が網の目のように張り巡らされ米が作られ、川が永々と刻んだ台地の上には畑地、台地と丘陵の斜面は雑木林が覆い、落ち葉は堆肥に、ほど良く育ったコナラやクヌギで炭を焼き、薪を作る。
日野のどこでも見られた風景です。
雑木林、畑、そして田んぼ、幾百年続けられ、培われてきた営みが生んだ風景はほんの四半世紀までは当然のごとく、ありました。
公園が気持ち良く手入れされるのと同じように、里山のどこを見渡しても、野放しにされた自然はありませんでした。
「生きる糧を得る手段」が里山を必要としなくなった時、生じた宅地としての必要性がその場所を変貌させました。
土地を巧みに利用することは、新しい「生きる糧を得る手段」、としての価値も当然のごとく受け入れられました。
でも、新しい価値に伴ってやってきたのは、存続への不安でした。
相続。
先祖伝来、自然の力で生き続け、そのための土地にも、都市近郊という条件で等しく課せられる税金が「生きる糧を得る手段」を裂いたのです。
緑の保護を高らかに叫ぶ声も、その前には押し黙るしかありませんでした。
「倉沢里山を愛する会」の活動はここに一石を投じました。
地主さんには土地を公共への寄付することにより、税金負担を軽くすることを提案、自治体はそれに応えて、周りの土地を買い上げてもらう。
こうして残された緑地は、「倉沢里山を愛する会」が管理する。
地主さんと行政と市民活動のパートナーシップで「生きる環境を創造する」活動です。
この「倉沢里山を愛する会」の十歳の誕生日会が行われました。
「倉沢里山を愛する会」の会員数は只今200名あまり、定期的に50名くらいが下草刈り、適度な伐採などの手入れを楽しみながらしています。
畑から収穫物はもちろん、バースディケーキも用意された会場。
歓談する会員の皆さんには、雑木林を抜けた細かい秋の光が注いでいました。