着々工事進行日野バイパス、開通まで後一ヶ月

 国道20号(甲州街道)日野バイパスの工事も大詰め。最後の堀之内区間800mも舗装工事も始まり、いよいよ3月24日午後3時に開通です。
日野バイパス
 日野バイパスは構想から50年、当時の日野町広報にもその計画がうたわれていた道です。
 この開通によって、国立の谷保から八王子の高倉までの8kmあまりが4車線化されると同時に、ほぼ直線で結ばれることになります。


 「甲州街道」の通称はそのままですが、このバイパスの完成をもって、江戸時代初期に整備され、明治期からは国道として400年もの間、「日野宿」をそのままの道筋で使われてきた甲州街道は4月1日からは都道となり、その「国の道」としての歴史を閉じることになります。
日野バイパス
 石田大橋から八王子へと日野台地を駆け上るバイパスの坂に沿っては、400年前に甲州街道が制定されるよりもずっと以前、鎌倉時代から使われていた古道がひっそりと寄り添うように残されています。この道はかっては、多摩市の一宮を通っていた鎌倉街道から落合、宮、を抜け、滝山方面へ通じる幹道だったっだろうということす。
 この坂の下からは、工事に先行した発掘で人骨を含んだ遺跡(神明上遺跡・日野市No.16遺跡)も発見されています。
 すでに開通している区間では今回の全線開通をにらんででしょうか、ファミレスや新しいお店の出店が多く計画されていると聞きます。
 まだ、本格的な工事が始まる前、川辺堀之内地区の子どもたちとお父さんたちが「火の用心」と声を掛けながら、地区を巡回する姿に出会うことがありました。川辺堀之内はこのバイパスで地区が分けられてしまう場所です。田んぼが広がっていたのどかな場所でした。
 暗闇がせまる中、丁度、バイバスが通るあたりで、拍子木の間から子どもに話かけるお父さんの声が聞こえてきました。
 「この風景を忘れるんじゃないぞ」、と。
 この新しい道はこれからどんな歴史を刻んでいくのでしょうか。
日野バイパス