日本全国の新選組ゆかりの地をご紹介

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北海道函館市

地域の特色

北海道渡島半島の南部に位置し、道南地方を代表する北海道第3の都市。その形状は中心市街地から扇状形に広がりをみせ、人口は約29万人。四季折々に全く異なる姿を見せ、北の大地の魅力に溢れたまちである。

幕末には、五稜郭が、日本最後の内戦「箱館戦争」の激しい戦いの舞台となり、その終結とともに、長い間続いた封建制度が終わりを告げ、日本の新しい時代の幕開けを迎えた。

現在では、日本最初の国際貿易港として栄えた異国情緒あふれる街並みや、とれたての新鮮な魚介類、函館山からの夜景など、観光スポットが市内随所に点在するなど、観光都市としての側面が強い。

新選組キーワード
  • 函館戦争
  • 土方歳三最期の地
幕末~維新の主な人物
  • 榎本武揚
    1868年江戸幕府の海軍副総裁に就任、同年勃発した戊辰戦争にあたり、幕府艦隊に率いて五稜郭に蝦夷協和国を設立するも、翌年降伏。内閣制度の成立後は、逓信大臣等各種大臣を歴任。72歳で命を閉じた。
  • 高田屋嘉兵衛
    寛政7年(1796)函館に来航。一代で財をなした豪商。私財を社会資本に投入現在の函館の基盤を築く。
主な名所
  • 五稜郭
    我が国最初の洋式城郭。桜の名所として知られており、現在は公園として市民に開放されている。また毎年5月には函館五稜郭祭が開催される。
  • 函館山
    標高344mの頂からは函館市街と港を一望できる。また、夜景の美しさは特に有名。
  • 立待岬
    津軽海峡に突き出た地形で、はるか下北・津軽両半島を望む雄大な眺めが壮観。
  • 碧血碑
    新選組副長・土方歳三をはじめ、函館戦争で戦死した旧幕府脱走軍の兵士800名が葬られている。
  • 土方歳三最後の地碑
    明治2年(1869)に壮絶な死を遂げた地に昭和33年に最期の地碑が建てられた。他に十字街付近、大手町付近という説もある。

岩手県宮古市

地域の特色

 本州最東端に位置する港町。豊潤な海の幸と景観美しい「浄土ヶ浜」が特徴である。

新選組キーワード
  • 宮古湾海戦
  • 土方が逆転の望みをかけて挑んだ戦地・宮古湾
幕末~維新の主な人物
  • 野村利三郎
    新選組隊士。宮古湾海戦で戦死。彼の遺体を埋葬したといわれる墓が宮古・藤原に存 在する。
  • 甲賀源吾
    旧幕府軍「回天」艦長。宮古湾海戦で戦死。
  • 荒井郁之助
    旧幕府軍・海軍奉行。宮古湾海戦で奮闘。
  • 相馬主計
    新選組隊士。土方没後は隊長となる。宮古湾海戦で奮闘。
  • ジュール・ブリュネ
    フランス軍仕官。旧幕府軍に参加。宮古湾の風景をスケッチするなど、多く の記録を残している。
  • 土方歳三
    新選組副長。旧幕府軍海軍奉行並。宮古湾海戦で指揮を執る。
主な名所
  • 宮古湾
    「宮古湾海戦」の舞台となった、岩手県中部の東側に位置する湾。リアス式海岸と呼ば れ、太平洋とつながっている。
  • 藤原比古神社
    宮古市・藤原地区にある神社。墓地には宮古湾海戦で没した戦士たちを弔った墓がある。

福島県会津若松市

地域の特色

福島県の西部に位置し、広い盆地と磐梯山、猪苗代湖などの豊かな自然に囲まれた会津地方の中心地。東山、芦ノ牧の温泉地や酒の蔵元、会津漆器などの地場産業が盛んで、平成11年に市制施行百周年を迎えた長い歴史と伝統を育むまち。

会津松平藩二十三万石の城下町として栄えたが、幕末には倒幕派と旧幕府軍の戦いである戊辰戦争の舞台となり、最後まで抵抗し、激しく戦ったが降伏を余儀なくされた。

また、近年はコンピュータ専門の大学として国内随一の規模を誇る会津大学を活用し、最先端技術研究が進められており、古きと新しきの融合を目指している。

新選組キーワード
  • 旧会津藩
  • 戊辰戦争
  • 会津戦争
幕末~維新の主な人物
  • 松平容保
    会津藩藩主。文久二年(1862)に京都守護職を拝命。近藤勇らをお預かりとし、壬生浪士組(のちの新選組)を誕生させる。
  • 齊藤一
    「一刀流」の流れを継ぐ「無外流」の達人といわれている。新選組三番隊長として活躍、一時脱退するも、復帰。その後は山口二郎と改名、戊辰戦争に身を投じる。会津戦争の際土方歳三と意見が対立、会津に残り、晩年は藤田五郎と改名、会津人として72年の人生を全うした。
  • 佐々木只三郎
    会津藩士佐々木源八の三男。清河八郎を江戸で暗殺、京都見廻組として新選組とともに京都の治安維持に努める。鳥羽・伏見の戦いで負傷し、和歌山の紀三井寺で死去。享年36歳。
主な名所
  • 飯盛山
    山中に白虎隊の墓をはじめ、松平容保の歌碑や石碑が建てられている。
  • 東山温泉
    天平年間の開湯。土方歳三も湯治に訪れたと言われている。
  • 鶴ヶ城
    600年の歴史を有する市のシンボル。
  • 松平家院内御廟
    歴代の会津藩主墓所。

茨城県行方市

地域の特色

茨城県の南東部、霞ヶ浦の東岸に位置する。西は霞ヶ浦を隔てて霞ヶ浦町に、東は北浦町と鉾田町、北は小川町、南は麻生町に接している。

古代・万葉の時代から幕末まで、各時代の史跡、文化財が数多く残る文化の町。幕末には幕命よりも勅命を重んじる尊皇攘夷の過激組織・天狗党が活動を行う。

新選組キーワード
  • 旧水戸藩(一部)
  • 芹沢鴨、平間重助の出身地

幕末~維新の主な人物
  • 芹沢鴨
    浪士組参加までは下村継次と名乗っており、神道無念流免許皆伝の腕を持つ。水戸勤王派の武田耕雲斎に学び、天狗党(旧玉造党)の一員であったといわれる。壬生浪士組では筆頭局長。「尽忠報国之士芹沢鴨」と刻んだ三百匁(約1.1kg)の鉄扇を常に携帯。短気で粗暴な振る舞いが災いし会津藩より近藤らに暗殺の指示が下され死亡。優れた和歌を残すなど学問もあった。
  • 平間重助
    芹沢鴨とともに浪士組に参加。壬生浪士組では副長助勤,勘定役を任される。芹沢暗殺の際には難を免れ、脱走し郷里に戻る。
  • 武田耕雲斎
    水戸尊攘派の総帥にして、尊攘過激派である天狗党の盟主。尽忠報国の至誠を朝廷に嘆訴しようと京都に向かう途中、藤田小四郎らとともに越前で加賀藩に捕らえられ鰊蔵に拘禁。斬罪。享年63歳。
主な名所
  • 霞ヶ浦
    国内で2番目に大きな湖。もとは内湾であったが、16~17世紀の相次ぐ河川工事により湖沼となる。
  • 三昧塚古墳
    昭和30年、霞ヶ浦の護岸工事で土砂を出した際に発見された前方後円墳。盗掘に合わずにいた石棺からは様々な副葬品が出土した。
  • 帆引き船漁
    明治13年に折本良平という人が考案したものだと言われる。船を横に使うため、風をはらんだ大きな帆とのバランスに熟練した技術を要する。

新潟県長岡市

地域の特色

新潟平野の南端に位置し、東西に東山連峰と西山丘陵地が横たわる。信濃川を軸に四季の移り変わりが鮮やかで、美しく豊かな自然に恵まれ、古代より政治経済・流通の要衝として栄えた。

幕末には、北越戊辰戦争激戦の地として、死闘が繰り広げられ、250年余年かけて築き上げた城下町は廃墟と化した。その後、第二次世界大戦の長岡空襲により、まちは打撃を受けたが、二度の戦争から復興を成し遂げた。

現在では、毎年8月2・3日に開催される「長岡まつりの大花火大会」は、日本一の大会として全国的に有名である。

新選組キーワード
  • 旧長岡藩
  • 戊辰戦争 北越最大の激戦地
幕末~維新の主な人物
  • 河合継之助
    文政10年(1827)、長岡城下で生まれる。越後長岡藩の家老で、戊辰戦争を避けようと、新政府軍との小千谷会談に臨むも決裂。奥羽越同盟軍を総指揮し、西軍と勇敢に戦ったが、只見町(福島県)で最期を遂げる。
  • 小林虎三郎
    文政11年(1828)、長岡藩士の三男として生まれる。その後、佐久間象山の門下に入り、吉田松陰とともに、象山門下に二虎と称せられるほどの教育者として知られる。三根藩主が送ってきた米百俵を国漢学校の設立にあて、長岡の教育の基を築いた。
主な名所
  • 長岡まつり
    8月1~3日に開催。「悠久太鼓」や「みこし渡御」をはじめ、夜には約2万発の花火が打ち上げられる。「大花火大会」が有名である。
  • 米百俵まつり
    平成14年より、「米百俵」の精神を後世に伝えるべく実施。市民500人が当時の装束を着て市街を歩く「越後長岡時代行列」をはじめさまざまな行事でにぎわう。
  • 長岡市郷土資料館
    悠久山公園内の高台にあり、河合継之助や小林虎三郎等などの資料を閲覧することができる。
  • 悠久山公園
    長岡藩ゆかりの公園。市民に「お山」と呼ばれ、親しまれる桜の名所。

千葉県流山市

地域の特色

千葉県の北西部に位置し、南は松戸市、北は野田市、東は柏市とそれぞれ接している。

西は江戸川を挟んで埼玉県の三郷市と吉川市があり、都心から約30km圏に位置する。

幕末後期、官軍との戦いに敗れた新選組は、20数名の残党となって流山にやって来た。近藤勇は大久保大和と為名を使い酒造家長岡屋を本陣としていたが、まもなく官軍に知られるところとなり、投降。土方歳三との永遠の別離の地となった。

近年、首都圏のベッドタウンとして人口の増加が著しく,それに伴う道路網、鉄道網も発達、自然が多く緑豊かな町である

新選組キーワード
  • 近藤勇、土方歳三 別離の地
幕末~維新の主な人物
  • 近藤勇
    新選組局長として京都の治安維持に努める。大政奉還の後、戊辰戦争が勃発、京から伏見へ帰陣中狙撃され、流山で官軍に投降、板橋で斬首される。享年35歳。
  • 土方歳三
    新選組副長。鬼の副長として新選組の統率を図る。戊辰戦争勃発後は、幕府軍の中心として戦いを続け、流山で近藤と離別した後も東北各地を転戦、函館五稜郭の戦いで銃弾を受けて戦死。
主な名所
  • 近藤勇陣屋跡
    新選組局長近藤勇が陣営を敷いた酒造家長岡屋。官軍に包囲され、近藤は大久保大和と名乗り出頭したが、後に斬首される。ここが近藤と土方との永遠の別離の地となった。
  • 利根運河
    明治時代に開削された江戸川と利根川を結ぶ延長9kmの人工水路。運河の流域面積では日本一を誇る。オランダ人土木技師ムルデルが開削の指揮にあたった。
  • 小林一茶寄寓の地
    江戸時代、俳人・小林一茶が第二の故郷として過ごした場所。

滝野川(東京都北区)

地域の特色

東京都の北部に位置し、北部は荒川を隔て埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区、隅田川を隔て足立区に接し、西は板橋区、南は文京区、豊島区に接する人口約32万のまち。

幕末には近藤勇が板橋平尾宿の一里塚で斬首の刑を受けた。その後永倉新八が発起人となり、明治9年に近藤勇と新選組隊士の墓碑が建てられた。

現在では、墓前供養祭を実施したり、地元商店街等で滝野川新選組まつりを行い、地元住民をはじめ多くの人々が訪れる。また、2003年12月には墓碑が北区の指定文化財となっている。

新選組キーワード
  • 近藤勇最期の地
幕末~維新の主な人物
  • 近藤勇
    新政府軍に捕らえられた近藤は、板橋の一里塚で斬首の刑を受けた。首は板橋宿はずれの平尾一里塚刑場にさらされた後、火酒に浸され、京都・三条河原にさらされた。近藤の墓は愛知県の法蔵寺・三鷹市の竜源寺の計3カ所があり、ここ板橋には胴体が埋葬されていると伝えられる。
  • 永倉新八
    神道無念流免許皆伝の剣豪。新選組副長助勤、二番隊組長。鳥羽伏見の戦いの後、江戸に退去後、近藤と意見が対立して新選組を脱退。原田左之助らとともに靖共隊を結成し、独自に戊辰戦争を戦う。明治維新後も生き延び、北海道小樽で余生を送る中で、東京の板橋に新選組同士の慰霊碑を建立したり、「浪士文久報国記事」等を執筆するなど、新選組の数多くの記録を後世に残した。
主な名所
  • 近藤勇の墓
    JR板橋駅より徒歩1分。近藤勇の命日である4月25日には毎年慰霊祭が行われている。全国から近藤ファンがお参りに訪れる。隣には墓建立の発起人となった永倉新八の墓碑もある。
  • 滝野川の種屋
    江戸時代、道中を通る旅人に野菜の種子を販売し、「種子は滝野川」と呼ばれるほど有名。特に人参は滝野川人参と呼ばれ、もてはやされた。現在も旧中山道沿いに種屋が残る。

試衛館(東京都新宿区)

地域の特色

東京都23区のほぼ中央に位置し、千代田区・港区・文京区・豊島区・中野区・渋谷区の各区にそれぞれ隣接する。

近藤勇をはじめとする新選組の中心人物達が浪士隊に参加する以前、剣術の修行をしていたのが「試衛館」である。現在の市谷柳町25番地あたりにあったといわれている。

歓楽街である"歌舞伎町"や数多くの百貨店、東京都庁をはじめとするオフィス街など、人の集まる施設が数多くあるため、JR新宿駅は日本一の乗降客を誇る。

新選組キーワード
  • 天然理心流の道場「試衛館」があった場所
幕末~維新の主な人物
  • 近藤勇、土方歳三、永倉新八
    他地域参照
  • 沖田総司
    新選組一番隊隊長、副長助勤。9歳の時に天然理心流、近藤周助の弟子となり、住み込みで剣術の腕を磨いた。16歳で試衛館の塾頭となり、師範代を努めている。池田屋事件後、持病の結核が進行。病を患いながらも数々の任務をこなすが、病状悪化し27歳の短い生涯を終える。近藤勇処刑の2ヶ月後であった。
  • 藤堂平助
    北辰一刀流の目録をもらった後、試衛館にも出入りするようになり新選組結成に名を連ねる。若干20歳で副長助勤となる。池田屋事件では眉間に傷を負いながらも奮戦。後に江戸で伊藤甲子太郎を新選組に勧誘・入隊させるも、伊藤らと共に高台寺党を結成し、新選組を離脱。油小路の変により殺害された伊藤の遺体を引き取る際に待ち伏せていた新選組隊士に斬られて絶命。享年23歳。
  • 山南敬助
    北辰一刀流名許皆伝の腕前を持つ。近藤勇との立会いに敗れて試衛館の門人となり、新選組結成に名を連ねる。学問にも熱心であり文武両道の人格者であったといわれている。勤王思想が強かったため、佐幕派に近藤・土方との溝が深まり、脱走。大津の宿で沖田に発見され抵抗することなく屯所に戻り、切腹。享年33歳。
主な名所
  • 新宿御苑
    徳川家康は江戸城に入城した際に家臣の内藤清成に授けた江戸屋敷の一部をもととしている。内藤植物試験場~新宿植物御苑を経て、明治36年に西洋庭園として完成。
  • 東京都庁
    平成3年竣工。ツインタワー形式の第一本庁は高さが243m(地上48階)あり、202m(地上45階)部分には展望台を備えている。
  • 歌舞伎町
    日本一の歓楽街。飲食店や様々な娯楽施設が建ち並ぶ不夜城。

東京都調布市

地域の特色

東京都のほぼ中央、多摩地区の南東部に位置し、新宿副都心へ15kmの距離にある。

東は世田谷区、北は三鷹市、小金井市、西は府中市、南は稲城市、川崎市に接する。

幕末には、後の新選組局長である近藤勇が生を受け、剣術の稽古を通じて土方歳三らと出会う。その後、勇は浪士組の一員として京へ上洛、新選組として時代のうねりに翻弄されながらも、己の強い信念とともに、短い人生をかけぬけることとなる。

現在では、自然豊かな緑あふれる人口21万人のまちとして、プロサッカーチームを誘致するなど、文化・スポーツの盛んなまちでもある。

新選組キーワード
  • 近藤勇の出身地
幕末~維新の主な人物
  • 近藤勇
    天保5年10月9日、宮川久次郎の三男として生まれ、天然理心流近藤周助に入門、その後周助の養子となり、宗家四代目を継承。浪士組として京に到着後は、新選組局長として京都の治安維持を努める。大政奉還の後、戊辰戦争が勃発、京から伏見へ帰陣中狙撃され、流山で官軍に投降、板橋で斬首される。享年三十五歳。
  • 近藤周助
    天然理心流三代目師範。江戸市谷柳町の試衛館を開設、その実践本意の剣術に近藤勇、土方歳三をはじめとする多くの門人が入門、剣術を学んだ。
主な名所
  • 近藤勇の墓
    近藤家一族の墓所として龍源寺墓地内にある。日本全国からファンが訪れる。
  • 深大寺
    天台宗の古刹。毎年3月3日・4日にはだるま市が開催される。深大寺そばが有名。
  • 武者小路実篤記念館
    実篤生前の貴重な資料が展示されており、邸宅も実篤公園として公開されている。
    味の素スタジアムー調布の新しいランドマークとして、2001年3月10日にオープンした国内最大級スタジアム。FC東京のホームグラウンドを中心に各種イベント等に利用されている。

三重県桑名市

地域の特色

三重県の北部に位置し、市の南部を員弁川が、北部を木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)が流れている。江戸時代には東海道五十三次・42番目の宿場町、港町、城下町として栄えた、歴史と文化に恵まれた伝統のあるまちである。

幕末には、京都守護職・松平容保の異母兄弟である桑名藩主松平定敬(さだあき)が京都所司代を勤め、京都で佐幕の中核を為し、「一会桑」と呼ばれる。

現在は、名古屋25キロメートル圏に位置し、名古屋のベットタウンとして宅地開発が進むほか、高度技術や研究開発機能の支援拠点としても整備が進められている。

新選組キーワード
  • 旧桑名藩
  • その手は桑名の焼き蛤
幕末~維新の主な人物
  • 松平定敬
    桑名藩主。兄は会津藩主・松平容保。京都守護職の容保とともに、京都所司代として京の治安維持に努めた。戊辰戦争の中桑名藩は降伏。定敬は各地で転戦、会津軍と合流し容保とともに滝沢本陣へ出陣。土方歳三らと米沢方面へ落ち延び、箱館の五稜郭へ入るが降伏。明治5年に恩赦となった。
  • 関川代次郎
    桑名生まれ。松平定敬が京都所司代を拝命後、京都勤番になり、池田屋事変にも参加。戊辰戦争勃発後は東北を転戦し仙台で藩主と合流、新選組に加入する。明治2年には弁天台場で降伏。
主な名所
  • 石取祭
    日本一やかましい祭として知られる。彫刻、幕、塗りなどの趣向を凝らした祭車・約40台が鐘と太鼓を響かせながら市内を練る。
  • 七里の渡し跡
    東海道熱田(宮宿)と桑名宿を結ぶ海路七里の渡しの拠点。江戸時代は船着き場として栄えた。
  • 九華公園
    桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園。戊辰戦争の舞台ともなった。現在も堀りは水をたたえ、水鳥が遊ぶ市民の憩いの場として開放されている。

京都府京都市

地域の特色

平安から明治の東京遷都まで、都が置かれていた街。数々の歴史の中心舞台となっており、第2次大戦中の空襲にも合わなかったため、今なお多くの史跡が残る。

幕末の動乱期には、佐幕派と討幕派の激しい抗争が行われた所でもある。最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を行った後は、混乱に拍車がかかり、幕府軍と官軍の戦い"戊辰戦争"へと発展することとなる。

東京遷都後、京都は衰退傾向にあったが、琵琶湖疏水や路面電車の整備など次々と大規模な事業を立ち上げ、活気を取り戻した。

和装産業に代表される伝統産業が今日も受け継がれる反面、京都に本社を置くハイテク・ベンチャー企業の活躍もめざましいものがある。

現在、市内では伝統の"京町家"を改装した飲食・物販店が次々とOPENして話題をよんでいる。

新選組キーワード
  • 新選組誕生、活躍の地
  • 乱世幕末の中心舞台
幕末~維新の主な人物
  • 孝明天皇
    幕末激動期に在位した攘夷の天皇。在位21年の間に起こった数々の不幸な事変は、年号を6回も改元されるにおよんだ(弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応)。親幕派であった京都守護職の松平容保をことのほか信頼され、朝政刷新にも尽力された。
  • 徳川慶喜
    徳川十五代将軍であり、動乱を生き抜いた最後の将軍。二条城で大政奉還を上表、勅許され、新しい国家体制の樹立を目指すが、王政復古の大号令により辞官、納地が決定される。鳥羽伏見の戦いで大敗後、江戸に戻り謹慎生活を送る。晩年従一位勲一等公爵にまで上り詰め77歳で死去。後半生は書画、写真などの趣味の生活を送る。
主な名所
  • 京都御所
    京都御苑の中央北部にあり、明治維新の東京遷都までは皇居として使用されていた。現在の御所は元弘元年(1331)に光厳天皇が定めたもの。現在の建物は安政2年(1855)に再建された。
  • 二条城
    慶長8年(1603)将軍・徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営。三代将軍・家光により、伏見城の遺構を移すなどにより寛永3年(1626)に完成した。最後の将軍・徳川慶喜が将軍職を継ぎ、大政奉還を行った場所でもある。平成6年(1994)にユネスコ世界遺産に登録される。

高知県高知市

地域の特色

四国のほぼ南半分を占める高知県の県庁所在地。県の中央部分に位置し、政治・経済・文化の中心として発展する人口32万人の中核都市。市の西側と北側には山岳が連なり、東側には田園が広がる。南側は浦戸湾を経て太平洋に臨む。黒潮の暖流が巡るため、南国的な気候である。

幕末には坂本龍馬、中岡慎太郎などの勤王の志士を輩出し、動乱の幕末から明治維新への礎を築いた。明治維新後も自由民権運動発祥の地として、また全国初の婦人参政権が実現するなど政治的伝統溢れる都市として有名。

また、現在では、106連敗中の高知競馬場の競走馬・ハルウララが世間の注目を集めており、観客動員にも一役買っている。

新選組キーワード
  • 旧土佐藩
  • 坂本龍馬、中岡慎太郎生誕の地
幕末~維新の主な人物
  • 坂本龍馬
    天保6年(1835年)、高知城下に生まれる。日本初の商社「亀山社中」(後の海援隊)設立、薩長同盟の成立など激動の時代に活躍するも、明治維新の前年、京都近江屋にて暗殺される。
  • 武市瑞山
    土佐藩下級武士の出。通称武市半平太。土佐勤王党を結党するも、土佐藩主により投獄、藩命により切腹させられる。享年36才。
  • 中岡慎太郎
    坂本龍馬とともに、薩長同盟を成立させるが、京都近江屋にて龍馬とともに暗殺される。
  • 板垣退助
    天保8年(1837年)、高知城下に生まれる。明治7年立志社を設立。自由民権運動を展開後、明治14年に自由党総裁となり、憲法発布、国会開設など日本の政治に多大な影響を与えた。
  • 中江兆民
    長崎で仏語を学び、その後フランスへ留学。帰国後、『仏蘭西学舎』を設立し、民権思想家として活躍するも、癌のため55才でこの世を去る。
主な名所
  • よさこい祭
    毎年8月に開催。鳴子を持った踊り手が市内を乱舞する。
  • 桂 浜
    太平洋に面し、月の名所としても有名。
  • 高知城
    市内中央にあり、国の重要文化財に指定。
  • はりまや橋
    僧・純信と、恋人・お馬の駆け落ちで有名。