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行く川のながれは絶えずして、日野用水・今昔

13日(土)から、JR日野駅からも近く、新選組の誕生にも深く関わり、最大の支援者だった佐藤彦五郎の菩提寺でもある大昌寺の塀いっぱいを利用した写真展、「まちかど写真館inひの日野用水・今昔」が開催されています。


NHKも取材に来ていました

 

日野用水はいわば「日野の素」。

この辺りが小田原北条氏の支配を受けていた永禄10年(1567)、美濃からやってきた、後に日野宿の名主を務めた上佐藤家の先祖である、佐藤隼人が当時の滝山城主、後の八王子城主北条氏照の力を借りて開削したといわれています。

江戸時代になると日野の米作りを日野用水は支え続け、日野に「多摩の米蔵」と呼ばれるほどの富を与えてくれていました。

 

展示の様子です

長さ2.4mのパノラマ写真も展示されています

若い人も興味深々です

オープニングでは日野ばやし保存会も登場


緑と清流課による用水の魚水族館は人気の的


特別参加、全長61cmのナマズ君も用水の住人です


歴代の緑と清流ポスターと
他の用水の写真も展示されています


江戸初期から明治にかけての日野の絵図も展示

その本来の目的、田んぼを潤す役目が変わり出したのは、昭和30年代後半から、日野用水にとってはほんの少し前に起った青天の霹靂でした。

高度経済成長によってベッドタウン化が進んだものの下水道などのインフラ整備が遅れたため、汚水が流れ込み、上流の工場からは廃水がそのまま流されるなど、だんだんと用水は体のいい排水路と化して行きました。

用水を取り入れている多摩川も汚染され、泡が流れ、異臭を放ち、もはや米作りどころではなくなり、さらには減反政策。

田んぼは次々と宅地に変わり、同時に進んだ車利用の生活は道路の確保と拡張を促進させ、そのために、流れを断ち切られずに暗渠化されたものはまだまし、埋め立てられ姿を消したものも多く、用水にとっては不遇の時代を迎えることとなったのです。

日野市ではそのような状態を憂い、「緑と清流のまちひの」をスローガンに上げ、長い間、用水の水を利用した水辺を活かしたまちづくりを創造しています。

市内に今では120kmほどとなってしまった用水ですが、ある場所では公園に引き込まれ、区画整理内でも親水の場が設けられ、「ぜいたく」な空間が憩いを与えてくれています。

一時はドブ川と化した流れも、下水道が完備したおかげで、格段ときれいになり、たくさんの生き物たちの住処ともなっています。

ですけれど、ドブ川だったころの記憶を持っている人たちにとっては、用水はまだ、汚く、臭いという先入観が抜け切れていないことも事実です。

写真展「日野用水・今昔」が行われている大昌寺の北を流れている日野用水も事情は同じでした。

でもこの春、嬉し恥ずかし、車道を確保するため暗渠にされていた流れが開かれ、30年ぶりに陽の光が差すことになったのです。

写真展はそれを期して開催されたものです。

用水と日野とのつまじい間柄がうかがえる江戸時代から明治にかけての絵地図も展示されています。

流れが生活の一部だったころの50年前の同じ場所の写真が展示され、しばしそれらを見た眼はそのままかたわらの流れへと自然と注がれていきます。

そして、その流れには小魚が群れ、ドブ川でない姿を見せてくれています。

よく見れば、鮎が銀鱗を輝かせている時もあります。

前日の12日には、この場所から1kmほど上流の「よそう森公園」にある用水が引き込まれている田んぼで、東光寺小学校5年生のみなさんが田植えを行っていました。

440年余り、その時芽吹いた木があれば、見上げても届かないくらいの大木になる時間を、用水は同じ場所を流れ続けているのです。

「行く川のながれ」の行く末、は、「いにしへ見し人」の業の中にあるのでしょう。


東光寺小学校では用水の水を使って米作りの体験をしています

※この写真展を含め、日野市の紹介が6月22日(月)午前11時5分より、NHKいっと6けん(関東地方のみ)で放送されます。

まちかど写真館inひの「日野用水・今昔」を詳しく

 
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