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街を映す駅

日野までは都心から30分のJR中央線。お隣立川駅までは現在、長い間懸案とされていた高架工事の真最中です。

この工事によって、慣れ親しんできた沿線の光景も一変しようとしています。

 駅もそのひとつ、日野駅も木造駅舎ですが、同じく木造で、共に大正15年に建てられた武蔵小金井駅、国立駅。高架化によって、武蔵小金井駅舎は姿を消し、国立駅舎はいったん解体され高架化の後、再び今の場所へ文化財として復元されるとの見通しであることが報じられています。

 10月8日は現役でお客さんを迎える最後の日、ご近所ということもあり、国立駅へ出かけてみました。

 

 

 国立市と日野市は多摩川を挟んでお隣の位置関係にもあります。

 来年3月に全面開通予定の国道20号日野バイパスで多摩川に架かる石田大橋を渡れば、そこはもう国立市谷保。

 甲州街道が中心を通り、学業成就の神社として知られている谷保天満宮があり、段丘からは水が湧き、農作にも適したこの地には古くから人が住み着いていました。

 幕末には、この谷保の名家本田家には土方歳三は書を習いに、近藤勇もたびたび訪れていたとの記録も残されています。

 大正時代の終わり、この谷保の北側に広がっていた武蔵野台地の原野にヨーロッパの都市を模した分譲住宅地として開発されたのが国立の街です。関東大震災後、当時では都心を遠く離れていた郊外でも住宅地開発が行われ、多摩地区では東久留米、小平、そしてここ国立でした。
 
 いわば、ニュータウンの草分け的存在、「国立」という名も「国分寺」と「立川」の頭文字をとって分譲地の名として付けられたものです。

 そして、開発をした会社が、街の中心としての駅をも造り、当時の鉄道省への寄付したのが国立駅の始まりです。

 一橋大学のキャンパスを両側に抱えた大学通りの正面に、青空にキリッと立っていた赤い三角屋根、の素敵な景観はだいぶ前から皮肉なことに「素敵な国立の街」をアピールして駅北側に林立したマンションに空を奪われ、縮こまって見えるようになってはいました。

 この日、ビルの間からは嵐が運んでくれた日差しが、そして、なごりを惜しむ人の輪が80年間街を形作ってきた三角屋根を浮かび上がらせていました。

 珈琲の香りが似合う国立の街から電車でふた駅、日野駅に降り立つと、こちらでは『秋来ぬと 眼にはさやかに 見えねども 「鯛焼」の香りに 驚かれぬる』の世界。日野駅舎には「たい焼き屋さん」が店を出しているのです。

 涼しさを感じる季節になると、「たい焼き」の香りは駅舎から通路をただよい堤の上に造られたホームへと抜け、電車を降りた乗客の鼻をくすぐります。

 帰宅を急ぐ人も堪えきらずに足を止め、時には行列ができるほどです。

 この駅舎は昭和12年、中央線が電化複線化された際、宿場はずれ、豊田寄りにあったものが新国道(現甲州街道)に面した今の場所に新築されたものです。

 設計者は交通博物館などを設計した伊藤滋とも言われており、駅舎設計に関する当時の記録には「日野、豊田付近は充分に近代都会的文化の影響を受けている所とはいえ、尚昔ながらの関東平野からの自然発生的風景習俗を保っている所でありまして、従って此所に建てられるべき最もふさわしい家はやはり関東民家の雅味を持ったものと考えられます。日野、豊田駅を田舎家風に設計した所以であります」、とあります。ー鉄道路線変遷史探訪よりー

 民家の土間にあたる場所が券売、改札口。つい数年前までここに場違いとも思われる東光寺薬師如来像と坂下地蔵の延命地蔵像の写真が飾ってありました。写真の下には乗降客が増えて撤去されてしまいましたが、括り付けの腰掛けが作られていて、一休みする御夫人や近所の方の姿が見られたものです。

 この腰掛けがあった場所に今あるのが「たい焼き屋さん」。建物と不自然なくとけ込んでいます。ですが、駅に「たい焼き屋さん」?、駅舎を見れば、「かわいい」!。初めて日野駅を利用する人にはインパクト大らしいのです。

 駅は街の顔といいます。容姿はかなり違いますが、このふたつの駅、どちらも街を映し出して、いい顔をしています。

 
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