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市民と一体、新生「日野レッドドルフィンズ」誕生

昭和13年、今から80年前、甲州街道が広がる桑畑や畑地の中を通るだけだった日野台地に現れた工場。

後に創業地日野の名を付けた「日野自動車(株)」となる「東京自動車工業株式会社 日野製作所」です。

この日野自動車で1950年創部以来活動してきた「日野自動車ラグビー部」が今年、トップリーグに初昇格しました。

祝、日野自動車「レッドドルフィンズ」ジャパンラグビー トップリーグ昇格

5月9日、これを機にチーム名を「日野自動車ラグビー部」から「自動車」を外し、「日野レッドドルフィンズ( HINO RUGBY FOOTBALL CLUB)」へ改称されました。

日野レッドドルフィンズ HP

日野市役所で行われた発表記者会見で下義生日野自動車社長によれば「会社と地域の垣根を越え、日野市、市民と一体となって、オール日野として活動していこう」。

大坪冬彦市長は「大変ありがたい決断。市を挙げて応援していきたい。日野市応援団」を結成。市内各地に横断幕や応援ポスターを掲示するなどサポートしたい」と語りました。

日野自動車は2020年までの計画で日野工場の移転事業を行っています。

下社長によると「時期も規模も未定ですが、将来的には工場跡地にスタジアムを作りたい」とも構想を明かしました。 

5月13日(日)のひの新選組まつり日野宿会場では、日野レッドドルフィンズによる「駕籠屋さん」も出現、下社長もオープニングパレードに参加、特設ブースも開設されます。

第21回ひの新選組まつり 5月13日(日)日野宿会場スケジュール


(左から)日野の村田主将、大坪・日野市長、細谷監督、下社長、染山副将

それにしても、不思議なもので、実は日野自動車誕生には、直接ではないにしろ「新選組」関係者も関わっているのです。

昭和の初め、不況に苦しんでいた日野、当時の町長有山 亮は、地下水が豊富で広大な台地もある日野へ都内から工場を積極的に誘致しました。

後に日野五社と呼ばれる大工場群は多摩屈指の生産高を誇るようになります。

その有山 亮の父、彦吉は新選組誕生に大きな影響を与えた佐藤彦五郎と土方歳三の姉のぶ夫妻の4男で有山家の養子となり、明治になってからはアメリカへ留学しています。

ですから有山 亮は佐藤彦五郎、土方歳三の姉のぶの孫にあたります。

新選組に縁深い佐藤家と有山家は維新後、第二次大戦が終わるころまで、交互に町長を務めるなど、明治以後も日野の発展に関わっていたのです。

 
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