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7月26日『TOYODA BEER』〜多摩地域最古のビール復刻〜販売開始

昭和50年(1975)2月15日に発行された「ひの広報」の一覧「郷土史ライブラリー」にこんな掲載がされました。

『日野の歴史と伝説 山口ビール』
 明治22年甲武鉄道が開通した時、日野の有志から「日野駅設置願」が何通も出されました。その願い書の中に、「日野宿停車場輸出入荷物調査表」というのがあります。
 その表の「輸出の荷物」に大量の米麦があるのは、農村地帯であった日野市域として当然のことですが、天然氷や煉瓦・屋根瓦・ビールがあるのには驚きます。中でも日野のビール生産は多くの人々が忘れていると思います。
 調査表には「ビール五百石」としてあって、備考に「ビールは現今百石余の製造にして、多くは東京へ運送せり」と書いてあります。
 これは日野市豊田の「山口ビール」です。
 平凡社の大百科事典によりますと、ビールの欄に「わが国では、明治7年に初めて三ツ鱗印麦酒が市場に出て、これが基となって、明治21年には年産額407石、31年には55238石・・」などとあります。それから見ると、明治22年の調査表の、山口ビールの「五百石」というのは、かなりオーバーと思われますが、これは将来の予想出荷高として、「現今百石余」というのを信ずれば、わが国のビール業界の草創期に大したものだったといえましょう。しかし、この山口ビールも大資本に圧されたり、いろいろな条件で後に廃業したことは残念でした。
 現在山口家には、ビール に貼ったレッテルや、当時の新聞広告、その他が僅かに残っているだけで、生産用具などの多くの資料は、敬失してしいました。

筆者:文化財専門委員 土淵英夫

ビールを作った山口家は多摩有数の豪農でした。

この記事から40年余り、平成25年、山口家敷地で行われた発掘調査と蔵の調査が行われた際、煉瓦造ビール貯蔵所の跡や大量のビールラベル、コルク栓が見つかりました。

これが『TOYODA BEER』誕生のきっかけとなりました。

130年前、明治19(1886)年、日本が近代国家へと歩みを進める中、作られた山口ビール。

それは何故?

それを紐解くと、幕末につながり、土方歳三との縁も見えてきます。

130年の時を越える「運命」もそこには感じられずにはいられません。

それは何?

ヒントだけ、載せておきます。

まずは一杯、それが最初です。

 
 
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